新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

孔明と李厳

 諸葛孔明の第4次北伐の時、兵站の維持に失敗した李厳が責任を孔明になすりつけようとして失脚したことは三国志演義の第101回に書いてある。李厳伝の蠔註によると、孔明魏延訒芝姜維ら軍幹部と共に連名で上奏文を提出して李厳の不正を糾弾し、彼を庶人に落としたそうである。だが演義では、激怒した孔明は即座に李厳を打ち首にしようとしている。殺る気満々、しかも独断専行である。浅学菲才の身なので知らないのだが、いくら丞相だからといって驃騎将軍を勝手に処刑していいのだろうか。
 費禕が諫めたので孔明は思いとどまったが、本当なら李厳はここで処刑されていたわけだ。後に孔明が亡くなったとき、そのことを知った李厳が激しく嘆いたという逸話は三国志演義でも採用されているが、いささか辻褄が合わなくなっている感は否めない。余談かつ史実の話になるが、一方の李厳がおとなしく更迭を待っていたのかというと、軍勢を引き連れて帰還してくる孔明を防ごうとした形跡が見られるという指摘がある。*1
 三国志演義の話に戻ると、孔明劉禅に上奏して李厳の処罰を請うた。劉禅も大いに怒って李厳を処刑しようとしたが、結局のところ李厳は助かっている。なぜかといえば蒋琬が反対したからである。なぜ蒋琬孔明の意向に逆らう役回りになっているのか謎だが、彼が馬謖の助命を孔明に嘆願したという襄陽記の記述からの連想で選ばれたのだろうか。孔明の腹心もしくは高弟ともいうべき蒋琬費禕が揃って孔明に反対しているというのが興味深い。長々と書いてしまったが、三国志三国志演義の違いをまとめると次のようになる。

三国志 三国志演義
孔明は他の将領たちとの連名で弾劾文を出し、李厳を庶人に落とした。 孔明は独断で李厳を処刑しようとしたが、蒋琬費禕が反対した。

 演義孔明は大した粛清大魔王である。三国志演義は必ずしも孔明を一方的に美化しているわけではないという気がしてならない。あるいは作者が意図したのとは違った受け止め方を私がしているということに過ぎないのかもしれないが。