拳聖デンプシー
ラヴクラフトがロバート=E=ハワードから1932年11月2日に受け取った手紙より。
寒冷な天候下におけるラヴクラフトさんの症状はまことに困ったものですね。そのような症状があるとは、ついぞ聞いたことがありませんでした。さぞかしお困りのことだろうと同情いたします。どうか、その症状のせいで恒久的な悪影響が生じるなどというようなことがありませんように。僕自身の話をすると、僕の知る限り身体的な弱点は――扁平足を別にすれば!――心臓病だけです。心臓が弱いのは遺伝によるもので、18歳の頃はいわゆる「スポーツ心臓」もしくは心臓肥大に悩まされておりました。回復した後も心臓は弱いままで、たまに気づくことがあります。根を詰めて仕事をしたり、長いこと緊張を強いられたり、激しく興奮したりすると失神しかねないのです。そういう経験を最後にしたのは数年前、デンプシーが復帰戦でジャック=シャーキーをノックアウトしたときのことでした。僕は試合の何日も前から神経質になっており、試合中は映画館で実況中継を聞いていたのですが、心臓の調子がおかしくなっていました。むしろ、心臓がおかしくなったのは試合が終わったとき、デンプシーがシャーキーの顎を打ち抜いた瞬間のことだったというべきでしょう。その恐ろしい一撃の音は木こりの斧が木を切り倒すかのようで、ラジオ越しにはっきりと聞こえてきました。僕は我知らず叫んで飛び上がりました――映画館全体が阿鼻叫喚の坩堝と化していたので、誰にも気づかれませんでしたが――そして半ば気絶した状態で椅子に倒れこみました。ですが発作が続いたのは数秒間だけでした。僕はすぐさま立ち上がり、連れの後を追って映画館を出たので、人混みに足止めされて遅れただけだと思われたようです。ですが僕の意識は朦朧としており、自分が何をしているのかもほとんどわかっていませんでした。勝者の名前が告げられるのを聞いたという覚えはないのですが――でも僕にはわかっていました。あんな音のするパンチを放てる人間は世界に一人しかいないと知っていたからです。
二つの点で印象深い文章だ。ひとつは、ハワードが心臓の病気を気にしていたこと。あれほど頑強そうに見えるのに、人は見かけによらないものだ。余談ながらダーレスにも同じ持病があり、結局それが彼の命取りになった。
そして「勝者の名前は聞こえなかったけど、誰なのかはわかった。あんなパンチを打てるのは彼だけだから……」という結びの言葉が実に格好いい。ジャック=デンプシーに対するハワードの敬意が伝わってくる。