新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

丘陵の鷹

 昨日に続いてエル=ボラクの話をする。ロバート=E=ハワードの"Hawk of the Hills"はトップノッチ誌の1935年6月号に掲載され、その号の表紙を飾った。現在は原文がウィキソースで無料公開されている。
en.wikisource.org
 エル=ボラクことフランシス=ゼイヴィア=ゴードンがアフガニスタンの峻険な岩山をよじ登っていくところから物語は始まる。オラクザイ族の長アフダル=ハーンが宴の最中にアフリディ族の長たちを騙し討ちで殺害し、彼らの朋友として同席していたゴードンのみが血路を切り開いて逃げ延びたのだ。
 ゴードンが復讐を誓って姿を消した後、アフリディ族とオラクザイ族の抗争は激化する一方だった。鎮静してほしいとアフガニスタンの国王から要請を受けた英国政府は外交官ジョフリー=ウィロビーを派遣する。ウィロビーは策謀に長け、大英帝国の植民地政策を推進してきたエリート。情報部に所属するスレイマンと、アフダル=ハーンの叔父に当たるバベル=アリが彼に同行していた。
 「悪魔の光塔」と呼ばれる場所でウィロビーとゴードンの会見が行われるが、オラクザイ族と和睦すべきだという提案をゴードンはにべもなく却下した。。井戸のある土地をアフリディ族から奪い、交易ルートを独占しようと目論んだオラクザイ族の側から始めた争いだとゴードンは説明し、アフダル=ハーンの首を獲るまで戦いは終わらないと言い放つ。
「君も先祖は英国人だろうが……」ウィロビーは情に訴えようとする。
「あいにく俺の先祖はスコットランド人とアイルランド人でな」というのがゴードンの返事だった。
 交渉が決裂したことを知ったバベル=アリは立腹し、ウィロビーとスレイマンを置き去りにして立ち去った。バベル=アリの庇護を失った彼らにオラクザイ族が襲いかかり、スレイマンは殺されてしまう。ウィロビーは必死に逃れたが、何者かに殴り倒されて気絶した。
 ウィロビーが意識を取り戻すと、彼は洞窟の中にいた。洞窟はオラクザイ族に包囲されており、ゴードンが6人の仲間と共に応戦している。洞窟の外にはバベル=アリもいた。彼は一時の癇癪を後悔し、自分を助けに来てくれたのだろうとウィロビーは考えるが、ゴードンは否定する。
「やつは情報部員のスレイマンを殺してしまったからな。毒を喰らわば皿までと思って、あんたの口を塞ぎにかかってるんだろう。いまから証拠を見せてやる」といって、ゴードンは洞窟の外に向かって呼ばわった。「おい、バベル=アリ! この英国人を引き渡せば、俺たちを見逃してくれるか!」
「もちろんだ!」と返事があった。
「だが、こいつにカブールへ行かれては困るのだ。俺に不利なことを報告するに決まってるからな!」
「ならば彼の首を斬り、こっちへ放って寄越せ! どうせ俺が殺すつもりだから、同じことだ!」
 ゴードンのいうとおりだった。バベル=アリはウィロビーを殺害し、その罪をゴードンになすりつけようとしていたのだ。「申し訳ない」とウィロビーはゴードンに謝った。
 オラクザイ族の知らない出口が洞窟の奥にあるとゴードンはいった。そこを通って洞窟から抜け出し、崖の下に降りようというのだ。ウィロビーはゴードンの力と知恵に感服しながらも、外交的な手段で紛争を解決してみせると決意する。
 月が沈むのを待ってから、ゴードンたちは脱出を決行する。彼らはロープを伝って次々と崖を降りるが、ロープを握っていたムハンマドが撃たれ、しんがりを務めていたゴードンが崖の上に取り残されてしまう。「俺にかまわずアクバル城に向かえ!」とゴードンは指示した。
「見捨てるなどできぬ!」朋友のコーダ=ハーンが叫ぶ。「いま加勢に行くから……」
「バカ者、さっさと行かんかあ!」
 コーダ=ハーンと仲間たちは歯を食いしばり、男泣きに泣きながらウィロビーを引きずって走った。熱い場面だ。
 意外なことに、ゴードンは敵に取り囲まれているわけではなく、襲ってきた連中はごく少人数に過ぎなかった。そいつらを倒したゴードンが洞窟の中に戻ると、洞窟の入口をめがけた銃撃が相変わらず続いている。襲撃はバベル=アリの指示によるものではなく、独自行動をとっていた数名がたまたまゴードンたちに出くわしただけだったのだ。ゴードンの判断ミスなのだが、このくだりではむしろ彼の仲間思いの心が印象に残る。
 切り立った崖を降りようにもロープがないが、裏口を使えない以上は正面から出ていくまでだ。ゴードンは銃身に火薬を詰めて洞窟の外に放り投げた。銃は轟音と共に爆発し、バベル=アリと手下たちが気をとられている隙にゴードンは洞窟から脱出する。馬を奪うことに成功した彼はアクバル城に向かった。
 一方、ウィロビーたちは無事アクバル城に到着していた。城で守備の指揮を執っていたヤル=アリ=ハーンはコーダ=ハーンから状況を知らされて激昂し、ゴードンを救出しに行こうとする。しかし彼らが出発する直前、馬にまたがったゴードンが帰還し、アフリディの戦士たちは歓呼してエル=ボラクを出迎えた。
「何とかカブールまで辿りつきたいんだが」ウィロビーは自分の望みをゴードンに語った。
「俺もあんたにそうしてほしい」とゴードンはいった。「あんたがここで命を落とせば、下手人に仕立てられるのは俺だからな。自分がしたことで悪評を立てられるならいざ知らず、濡衣を着せられるのは真っ平だ」
 アフダル=ハーンに手紙を書き、バベル=アリの狼藉を知らせることをウィロビーは思いつく。アフダル=ハーンはウィロビーの筆跡を知っているし、彼が直々にやってくればバベル=アリとて勝手な真似はできないだろう。
 アフダル=ハーンは非常に用心深い人物なので、アクバル城から狙撃できるところまで近づこうとはしないだろうが、ウィロビーには妙案があった。アクバル城には見張りのために高性能の望遠鏡が備えてあるのだ。ゴードンによるとドイツからの輸入品だそうだが、やはり光学機器はドイツ製に限るということだろうか。ともあれ望遠鏡を使えば、射程圏外からアフダル=ハーンの姿を確認できる。
 ウィロビーの書いた手紙をアフダル=ハーンのもとへ届けに行くことをゴードンは自ら引き受け、宵闇に紛れてアクバル城を抜け出す。バベル=アリはアクバル城を包囲するが、城には備蓄がたっぷりとある上、天然の要害に守られていた。バベル=アリは何度も手下を突撃させますが、いたずらに死体の山が築かれるばかりだった。
 アクバル城は元々はアフダル=ハーンのものだった。こんな難攻不落の砦をゴードンはどうやって奪取したのかとウィロビーに訊かれて、コーダ=ハーンがする。ヤル=アリ=ハーンら40名のものが囮となり、アフダル=ハーンらを城からおびき出した。その隙にゴードンは金持ちの商人に変装して城に入りこみ、わずか3人だけ居残っていた敵を独りで片づけて城を乗っ取ったのだ。余談だが、史記の淮陰侯列伝によると韓信も同様の作戦を使ったそうだ。すなわち背水の陣という言葉の由来となった故事だが、ハワードが史記を読んだことがあるのか私は知らない。ゴードンにいわせると、彼はジェロニモに私淑しているそうだ。
 一眠りしたウィロビーが眼を覚ますと、ゴードンが戻ってきていた。背中を向け、眠っているようだ。彼は疲れているのだとコーダ=ハーンがいう。近づいてくるアフダル=ハーンの姿が望遠鏡に映ったので、ウィロビーはゴードンの目覚めを待たずに城を出ることにした。ウィロビーはアフダル=ハーンと二人きりで落ち合うが、彼の話を聞いたアフダル=ハーンは抜刀して言い放った。
「では貴様の命をいただくとしよう。俺がバベル=アリを見捨てるとでも思ったか?」
 ウィロビーを殺し、その罪をゴードンになすりつけようと考えている点ではバベル=アリもアフダル=ハーンも同じだった。冥土の土産に教えてやろうといって、アフダル=ハーンはウィロビーに自分の野望を明かす。交易の拠点を押さえることによって勢力を拡大し、アフガニスタンの王になるのが彼の目的だった。そして、アフダル=ハーンの背後で糸を引いていたのはロシア帝国に他ならなかった。死を覚悟したウィロビーは一矢報いるために突進しようとするが、そのとき声がした。
「待ちな!」
 そういって現れたのはゴードンだった。彼はアフダル=ハーンの意図を見抜き、先回りしていたのだ。お約束ではあるが、ハワードの文章で描写されると非常に格好いい。
「あんたは城の中で寝ていたのではなかったか?」と驚くウィロビー。
「あれは俺の服を着た仲間さ」
 大勢の人間を手駒として操ってきたエリート外交官のウィロビーですが、今度ばかりは他人の絵図通りに動かされてしまったわけだ。ゴードンはアフダル=ハーンを撃ち殺すこともできたのだが、敢えて刀での勝負を申しこみ、死闘の末に彼を討ち取る。バベル=アリは攻城を諦めて引き揚げ、ゴードンの復讐は果たされた。あんたのやり方は好きになれないが、実にあっぱれな男だとウィロビーはゴードンを讃えるのだった。
 超常的なものが絡まない純粋な冒険小説だ。アフダル=ハーンは狡猾で冷酷な悪役ながら堂々としており、主役のゴードンとほぼ互角に渡り合えるほどの実力がある。またゴードンに翻弄される役割のウィロビーも本来は優秀で勇敢な人物だ。悪役や脇役の人物造形もおろそかにしないことによって物語の厚みや痛快さが増すわけで、ハワードらしい作品といえるだろう。