新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

好漢エル=ボラク

 ロバート=E=ハワードが1935年5月頃に書いたラヴクラフト宛の手紙から。

「永劫より」はとてもおもしろかったです。ラヴクラフトさんのお名前も作者として出したほうがよかったですね。だって徹頭徹尾あなたの作品なのですから。今年の夏にはいくらか小説を書いてくださいますように。ウィアードテイルズでラヴクラフトさんの作品を読めなくなって、あまりにも久しいです。最近、僕は冒険小説で新規に市場を開拓しようとしているところです。トップノッチ誌は長めの小説を四つ受理してくれましたし、最新号の表紙絵に拙作を使ってくれましたから、常連作家になってやろうと思います。怪奇小説はとにかく需要が乏しく、原稿料の支払いも遅れがちなので、僕はその手の話を書くのをきっぱりと止めて別のものを手がけざるを得ないかもしれません。怪奇幻想をすっかり諦めてしまいたくはないのですが。

 この書簡によると当時ハワード家には12匹もの猫がいたらしいのだが、その話は長くなるので割愛する。ともあれトップノッチの1934年12月号に掲載されたハワードの作品"The Daughter of Erlik Khan"を紹介したい。邦訳はないが、現在では公有に帰しているためウィキソースで原文が公開されている。
en.wikisource.org
 主人公はフランシス=ゼイヴィア=ゴードンというテキサス出身の米国人。故郷を遠く離れたアフガニスタンで暮らし、現地人からはエル=ボラクと呼ばれている。
 場所はアフガニスタンの奥地、ゴードンは二人の英国人のために道案内を務めているところだ。彼らはペンブロークそしてオーモンドという名前で、友人のレイノルズが行方不明になってしまったので探しに行こうとしていた。
 行く手に見える山がエルリク=ハーン山だとゴードンは二人に説明した。エルリク=ハーンというのはキルギス族が崇める魔神だというが、この作品におけるキルギス族は実在のキルギスから名前だけ借りた別物と考えたほうがよさそうだ。なお、ハワードには"Lord of the Dead"という短編があり、そこに登場する犯罪王もエルリク=ハーンと名乗っていた。*1
 ゴードンはレイヨウを狩りに出かけ、ペンブロークとオーモンドはテントの中で密談を始めた。ここまで来たらゴードンの助けは不要だから、彼をお払い箱にするということで合意する二人。レイノルズという友人は存在せず、ペンブロークとオーモンドがゴードンの協力を得るためにでっち上げた口実だった。彼らがアフガニスタンまでやってきたのには別の目的があったのだ。
 ゴードンの従者のアフメッドがテントの外で聞き耳を立てていることに気づいたオーモンドは、口封じのために彼を射殺してしまう。オーモンドとペンブロークはただちにテントを引き払い、ゴードンを置き去りにしていくことにした。やつは食糧も毛布も持っていないから、いずれ野垂れ死にするだろうとオーモンドはうそぶく。
 一方、狩りに出かけたゴードンは途中でならず者に襲われていたが、返り討ちにして逆に馬を奪う。ゴードンが馬に乗って帰るとキャンプは跡形もなくなっており、瀕死のアフメッドが横たわっているばかりだった。二人の英国人はキルギス族の都ヨルガンに向かったと言い残して、アフメッドは息を引き取った。
 ゴードンは怒りに燃えて二人組の後を追った。運よく手に入れた馬があるので、無理をしなければ生きて帰れるはずなのだが、ゴードンの心にあるのは復讐のことだけだった。アフメッドは長い間ゴードンと苦楽を共にし、彼にとっては従僕というより朋友だったからだ。
 100人ほどの流れ者の集団に遭遇したゴードンは、その頭目に一騎打ちで勝って乗っ取りに成功した。夢にも見たことがないような財宝のところへ連れて行ってやろうとゴードンは流れ者たちに約束し、真に受けた彼らは付き従う。空手形の落とし前をどうやってつけるのか、ゴードンはまるで意に介していなかった。
 道中でキルギス族に遭遇した流れ者たちは、彼らが財宝を持っているものと早合点し、ゴードンが眼を離した隙に勝手に襲撃してしまう。ゴードンは猛然と腹を立てたが、起きてしまったことは取り返しがつかない。キルギス族に追跡される身となった流れ者たちを引き連れて、彼はヨルガンに向かった。
 よそ者なかんずく欧米人を見かけたら問答無用で殺してしまうのがキルギス族の流儀のはずだったが、どういうわけか彼らはペンブロークとオーモンドに好意的だった。二人がキルギス族に何かを見せると、彼らは従うのだ。ゴードンは不思議に思いながら、二人の後を追ってヨルガンに到達した。
 ペンブロークとオーモンドは山中の洞窟に従者たちを待たせ、都に赴いた。洞窟の中で従者の一人に見つかったゴードンはやむなく彼を殺し、ヨルガンに潜入する。他の従者たちは同僚の死体を見て、魔神の祟りに違いないと震え上がった。彼らは主人の帰りを待たず、そそくさと荷物をまとめて立ち去ってしまった。
 ヨルガンはエルリク=ハーン信仰の中心地でもあり、立派な寺院がある。寺院の内院に忍びこんだゴードンを出迎えたのは、ゴードンと面識のある美女だった。その名をヤスミーナという。
 ヤスミーナの父親は教団の一員だったのだが、外部の女性と駆け落ちした。二人の間に生まれたヤスミーナは長じてカシミールの王子の妃となったが、これがひどい男だったため彼女はたまりかねて逃げ出した。逆恨みした王子はヤスミーナの身柄に多額の懸賞金をかけていた。彼女が連れ戻されたら散々いたぶって殺し、鬱憤を晴らす気なのだ。
 世をはかなんだヤスミーナはエルリク=ハーン教団に加わることにし、ゴードンが彼女を警護してヨルガンまで送り届けた。ヤスミーナの父親は教団からは裏切者と見なされていたが、父親の罪が娘に引き継がれるということはなく、また彼女の胸にあった星形の痣が女神の生まれ変わりの証とされたこともあって、ヤスミーナはエルリク=ハーンの娘という地位を得た。
 教団の中枢に関与したことにより、ヤスミーナは教団の暗部を知ってしまった。エルリク=ハーンは魔神と呼ばれるだけあって、その信仰には暗澹たる部分があったのだ。文明社会に戻りたくなった彼女はゴードンに手紙を書き、自分をヨルガンから脱出させてほしいと頼んだ。そして返事を待っているところへゴードンがやってきたというわけだ。
「やはり来てくれたか!」と喜ぶヤスミーナ。
「だが、俺はあんたの手紙など受け取っていないぞ」とゴードンはいった。
 ヤスミーナがゴードンに宛てて書いた手紙はヨゴクの手に渡っていた。ヨゴクは教団の幹部だが、ヤスミーナに恨みを抱いている。二人の確執についてハワードは詳しいことを書いていないが、ヨゴクが人間の生贄をエルリク=ハーンに捧げようとしたのをヤスミーナが止めさせたことがあったらしい。
 ヨゴクはヤスミーナの手紙をペンブロークとオーモンドに送り、彼らをヨルガンに呼び寄せることにした。英国人たちはヤスミーナをカシミールの王子に引き渡し、彼から褒美として大金をせしめるつもりでいた。通行許可証として使える紋章をヤスミーナはゴードン宛の手紙に同封しており、ペンブロークとオーモンドがヨルガンまで無事に来られたのはそれをキルギス族に見せていたからだった。
 ゴードンは脱出の経路を決めるため、ヤスミーナを後に残して偵察に出かけていく。しかしヤスミーナの侍女がヨゴクに内通していたので、二人の動向は彼に筒抜けだった。ヨゴクは手下を引き連れてヤスミーナの部屋に押し入り、彼女を連れ去ってしまう。一方、ゴードンも落とし穴に落とされていた。常人なら無事では済まない高さからの落下だったが、卓越した身体能力を備える彼は傷ひとつ追わず、止めを刺しに来た男を倒して地下牢から脱出する。
 ヨゴクはペンブロークとオーモンドのところへヤスミーナを連れていったが、従者たちが待っているはずの洞窟に彼らが辿りつくと、そこはもぬけの殻だった。前述したように、魔神の祟りを怖れた従者たちは逃げ出してしまっていたのだ。ヨゴクが裏切ったと思いこんだ英国人たちは彼に襲いかかるが、ヨゴクはうまく逃げおおせ、彼の手下がペンブロークを刺した。オーモンドはヤスミーナを引きずり、ヨゴクの手下に道案内をさせて出発する。相棒に見捨てられたペンブロークは、駆けつけてきたゴードンに一部始終を打ち明けて絶命した。
 ゴードンはヨゴクを捕え、彼に案内させてオーモンドに追いついた。オーモンドはゴードンをめがけて拳銃を撃ちまくるが、底なしのクレバスに転落してしまう。自分自身の手でアフメッドの仇を討つことができなかったゴードンは憮然とした思いだった。
「おまえは死んだと聞かされたが、それが嘘だということはわかっていたぞ!」とヤスミーナは叫んだ。「季節は夏だ、凍え死ぬことはない。多少の餓えなら耐えられる。さあ、行こうか!」
「だが、俺が厄介ごとに巻きこんでしまった連中がいる」とゴードンはいった。「彼らを見捨てていくわけにはいかない」
「おまえなら、そういうだろうと思った」
 流れ者たちはキルギス族に見つかってしまい、猛攻撃を受けている最中だった。ゴードンはわずかな生き残りを救出し、逃げ道はないかとヨゴクを問いただす。エルリク=ハーン山には秘密の隧道があり、山の向こう側まで通り抜けられるようになっているとヨゴクは白状した。
 何百年の歳月をかけて築いたのか、隧道の中は壮麗な神殿になっており、教団が蓄えてきた莫大な黄金が秘蔵されていた。流れ者たちは驚喜して黄金を馬に積みこみ、図らずもゴードンは約束を守ることになった。
「好きなだけ持っていくがいい」むっつりとヨゴクはいった。「どうせ全部は運べないだろうし、我々はまだ金脈のごく一部を掘り出しただけだからな。そろそろ私を解放してくれないかね?」
「まだだ」とゴードンはいった。「山の向こう側まで抜け出したら自由の身にしてやる。そしたらヨルガンに戻り、適当にでっち上げた嘘で教団をごまかせばいい」
 エルリク=ハーンの娘をさらうのに手を貸したなどということが教団にばれたら破滅なので、ヨゴクも必死だ。一行はようやく隧道を通り抜けましたが、すると崖の上から岩が降ってきました。オーモンドの仕業だ。クレバスに落ちたとき、彼は岩棚に引っかかって命拾いしていたのだった。
 オーモンドに気づかれないよう崖の上まで行く方法はないのかとゴードンはヨゴクに訊ねた。敵襲に備えた見張りのために使っていた縦穴があるが、打ち捨てられて久しいとヨゴクは答える。ゴードンは縦穴を登りはじめたが、長いこと使われていない梯子は傷みが激しく、時には岩壁のわずかな手がかりを代わりに使わなければならなかった。
 限界に達しつつある体に鞭打ち、決死のロッククライミングを成し遂げたゴードンは、オーモンドを狙撃しようとする。しかし疲労困憊していたために銃弾は逸れてしまい、オーモンドは身を翻して剣を抜き放った。アフガニスタンの奥地までやってくるだけあって、オーモンドも卓越した技量を誇る剣客だったが、激しい戦いの末にゴードンは彼を仕留める。エル=ボラクを讃える皆の声が崖の下から聞こえてきた。
 寝込みを襲おうとした謎の敵をゴードンが格闘で仕留めるという短い挿話で物語は終わり、エル=ボラクの冒険が続いていくことを示唆している。実際、彼を主人公とした作品はその後も各誌で発表された。
 ヤスミーナは運命に翻弄されながらも、自分の意志と力で道を切り開いていこうとする強い女性として描かれている。彼女とゴードンは互いに尊敬し合う親友同士だが、二人の関係が恋愛にまで発展することはない。ヒロインを主人公の添え物にしていない点もハワードらしいといえるだろう。