新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

幻夢郷ものがたり

 リチャード=A=ルポフに"Villaggio Sogno"という短編がある。2004年にマイク=アシュリーが編んだThe Mammoth Book of Sorceror's Talesが初出の作品で、題名はイタリア語で「夢の村」を意味する。
 主役はマルゲリータと、その親友のフランチェスカ。二人とも12歳、自分たちだけでヴィラジオ=ソーニョの町に出かけていいという許しを親からもらったので浮き浮きしている。馬車に乗ってヴィラジオ=ソーニョに着いた少女たちは日本料理店で食事をし、街角の物売りから銀のピンバッジを買って互いに贈り合った。マルゲリータフランチェスカのために買ったのはピッコロ、フランチェスカマルゲリータのために買ったのは本の形をしたピンバッジだ。はしゃいで抱き合う少女たち。
 マルゲリータがヴィラジオ=ソーニョに来たのは、お父さんの誕生日の贈物を買うためだった。マルゲリータのお父さんは本と音楽を愛する寡黙な大男。マルゲリータもお父さんの影響を受け、フルートを吹くのが上手だ。マルゲリータのお父さんがもっとも好んで読むのはジャコポ=ムルシーノの作品だった。それは宇宙の誕生から終末までを描いた壮大な叙事詩で、全16巻ということになっているのだが、最後の巻だけは現存していない。
 新しい本より古本のほうがお父さんへの贈物には向いているとお母さんが助言してくれたので、マルゲリータフランチェスカと連れ立って古書店に入った。店の主人はエットーレ=マリピエロという男で、商売する気があるのかないのか、新しい本を買いに行けばいいではないかなどとマルゲリータにいう。古本がいいのだと少女たちは言い張った。
 マリピエロは二人を五角形の部屋に案内した。天井は見えないほど高く、本棚になった壁は書物で埋め尽くされている。マリピエロがマルゲリータフランチェスカに奇妙な粉を吹きつけると、周囲の景色が揺らいだ。少女たちがいるのはもう古書店の一室ではなく、一面が灰色に覆われた死の世界だ。正体を現したマリピエロはトカゲに似ていた。
 二人の子供が横たわっていた。やはりトカゲのような姿をしているが、女の子だとわかる。マリピエロの娘たちなのだろう。彼は娘たちを死の世界から救い出し、マルゲリータフランチェスカを身代わりにするつもりなのだ。妖かしのものは幻を見せて人を惑わすことがあるけれども、そんなときには幻を打ち払う音楽があると学校の先生が教えてくれたことをマルゲリータは思い出した。その曲の旋律はよく覚えているが、声が出ない。ああ、自分のフルートさえあれば――とマルゲリータは思った。
 マルゲリータは無我夢中で手を伸ばし、フランチェスカの服につけてやったピンバッジをとった。ピッコロの形をしているが、所詮はおもちゃだ。だがマルゲリータが口に当てて吹くと音が出て、たちまち異界の景色は消えた。マルゲリータフランチェスカがいるのは古書店ですらなく、仕立屋だった。競合店が送りこんできたスパイだろうと店の主人に疑われた少女たちは這々の体で逃げ出す。
「マリピエロさんのこと、気の毒だと思う」とマルゲリータは呟いた。
「あの人、娘さんを助けたかっただけなのよ」とフランチェスカもいった。
「私たちを身代わりにしてね」
「うん」
「でも、あの子たちが私たちの身代わりになったんだ」
 怪しげな男が現れ、ラグノ=ディストルトーレと名乗る。自分のところに来ればジャコポ=ムルシーノの本もあると彼はいい、フランチェスカは乗り気になるが、マルゲリータは彼女の手を引いて逃げ出した。そもそも本を買おうとしているのはマルゲリータのほうなのだが、マルゲリータの喜ぶ顔が見たいフランチェスカと、フランチェスカを危険にさらしたくないマルゲリータの対比がおもしろい。
 もう夕刻だ。フランチェスカと二人して帰りの馬車に乗ったマルゲリータは昼間の日本料理店から日本に思いを馳せ、いつかは自分も広い世界に出て行くのだろうかと思った。日本を訪れ、そこに住む人々に会えるだろうか……。冒険して疲れたマルゲリータフランチェスカの肩に頭をもたせかけ、まどろみに落ちたのだった。
 非常に美しく夢幻的な物語。ハッピーエンドだが、同時に切なさを感じさせる。舞台になっているのは一応イタリアだが、むしろ「どこにもない町」という印象を受けるし、事実これはルポフ自身の夢が基になった作品だそうだ。
 ルポフは1935年生まれ。クトゥルー界の最長老ともいうべき作家だったが、昨年の10月に85歳で他界した。幻夢境に迎え入れられた彼の日々が楽しくあらんことを願う。