新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

宇宙怪物の巣で

 フランク=ベルナップ=ロングが"In the Lair of the Space Monsters"の文章をベイツ編集長に削られてしまったので恨んだと一昨日の記事でラヴクラフトの書簡から引用したが、この短編はストレンジテイルズの1932年10月号が初出だ。
 潜水艦が何かと衝突して沈み、二人だけ生き残った乗員のテイラーとハーヴェイは気がつくと奇怪な世界に転移していた。その世界の住民は上半身が類人猿のようで、下半身はタコの足になっている。どういう姿なのか、ストレンジテイルズの挿絵を載せているブログがあるので、ご興味のある方はごらんいただきたい。

ZPi | "In The Lair Of The Space Monsters"

 二人はそいつらの幼生の餌にされかかるが、絶望したハーヴェイが狂ったように笑うと、その音を嫌った幼生はことごとく逃げてしまった。テイラーとハーヴェイは何とか脱出し、気がつくと孤島にいた。我々は異次元の世界に迷い込んでいたのであって、今も奴らは我々のすぐそばにいるのかもしれないと語るテイラー。たまたま通りかかった船が二人を救助する。あの島は悪しき場所だと船長は二人に教え、急いで離れるのだった。おしまい。

 ワイルドサイド=プレスから発売されたロングのお徳用作品集で私はこの作品を読んだのだが、これはおそらくベイツが手を入れた後のバージョンだろう。ロングには「駄作王」「愚作王」の称号がふさわしいという中村融先生の言葉に頷きたくなってしまうのが何ともつらいところだ。*1
 ロングの作品はそれくらいにして、ベイツの話をする。ハリー=ベイツ(1900~1981)は「地球の静止する日」の原作者として名高いが、1930年から33年にかけてアスタウンディングとストレンジテイルズの編集長を務めていた。ダーレスは1932年に編集者の優劣を論じ、ベイツのほうがファーンズワース=ライトよりも利口だと述べている。ラヴクラフトは1932年2月2日付の手紙で次のように返事をした。

ライト対ベイツの件ですが――彼らの相対的な知性については君に同意するのですが、だからといってベイツのほうがライトよりも扱いやすいということにはならないと思います。ベイツは頭がいいからこそ、誌面の一様な平凡さというクレイトン*2の指針を――好むと好まざるとによらず遵守しています。一方ライトの斑気は苛立たしいばかりですが、だからこそ安っぽい編集者が普通なら絶対に受け付けないような原稿もウィアードテイルズでは受理されることがあるのです。ベイツが"The Panelled Room"*3を個人的に気に入っているからといって掲載の見込みがあるわけではないと君もお気づきでしょう――でもウィアーテイルズにしつこく提出し続けていれば、ライトが気まぐれを起こして受理するという一縷の望みがあるのですよ! 拙作がストレンジテイルズに掲載される日が来るかは大いに疑わしいと思いますね。

 "The Panelled Room"と似たような例として"The Wind from the River"がある。後者についてはストレンジテイルズに掲載されることをダーレスは最初から諦めており、作家としての自分の優秀さをベイツに知らしめるためだけに原稿を送ったらしい。*4いずれも非常に優れた作品だと私も思うのだが、怪奇というよりは心理サスペンスの要素が強いため、およそパルプ雑誌には不向きなのだ。
 結局"The Panelled Room"の初出誌はオグルソープ大学出版会から刊行されていたウェストミンスター=マガジンになった。そして"The Wind from the River"を掲載したのはウィアードテイルズだった。ライトは頭が悪いから、普通ならパルプ雑誌に載らない作品でも受理してくれるというのは褒めているのか貶しているのかわからない言葉だが、ラヴクラフトの予言したとおりの結末というべきだろうか。
 後年ダーレスは編集王として名をとどろかせるが、彼の手がけたアンソロジーはスミスやライバーやブラッドベリの名作が綺羅星の如く並ぶ中に、毛色の変わった怪作が紛れこんでいることがある。アンソロジーとしての水準を一定以上に保ちつつ、癖が強いけれども捨て去るには惜しい作品をそれとなく救済していたダーレス。ただ頭がいいだけではなく、大きな器を備えた編集者に彼が成長したのは、ラヴクラフトとの青年時代の交流があったからなのかもしれない。

*1:SFスキャナー・ダークリー 『ティンダロスの猟犬』

*2:アスタウンディングやストレンジテイルズの版元を経営していたウィリアム=クレイトンのこと。

*3:羽目板張りの部屋 - 新・凡々ブログ

*4:河より吹く風 - 新・凡々ブログ