新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

自分の記憶が改竄されていたかもしれないという話

 ラヴクラフトに"Memory"という散文詩がある。1919年に発表された作品で、紀田順一郎先生と大瀧啓裕先生による邦訳があるが、ここに拙訳を載せておきたい。なおネット上の先行する試みとして雨宮伊都さんの訳がある。*1

記憶
H.P.ラヴクラフト

 ニスの谷では忌まわしき欠けた月が弱々しく輝き、そのかすかな角から放たれた光は、ウパスの巨木の死を招く葉群を通り抜けて千々に乱れる。そして谷間の深みでは、眼にされることのない影がうごめく。草の繁茂した斜面では、有毒な蔦や匍匐植物が荒廃した宮殿の敷石の直中を這い回り、折れた石柱や奇異なる石碑にしっかりと巻きつき、忘れ去られた手の敷いた舗装を持ち上げようとしている。そして、荒れ果てた中庭で巨大に生長した木々では小さな尾なし猿が跳びはね、底深い宝物蔵では毒蛇や無名の鱗虫がとぐろを巻いている。じめじめした苔に覆われて眠る石材は巨大であり、その落ちてきた壁は強大である。それらが築かれたのは大昔のことながら、実際それらは今なお気高くも役立っている、というのは灰色のヒキガエルがその下に巣を作っているからだ。
 谷の奥底ではツァン河が流れるが、その水はぬめりを帯びており、雑草に満ちている。河は隠された泉に源を発し、地底の洞穴へと注ぎこむので、河の水がなぜ赤いのか、そしてどこに向かっているのかは谷間の魔神も知らない。
 月光に乗じて現れた精霊が谷間の魔神に話しかけた。
「私は年老い、多くのことを忘れてしまった。これら石造のものを築き上げた連中の事績と姿と名前を私に教えてはくれまいか」
 魔神は応じた。
「私は記憶、過去の知識に通じるもの。だが私もまた老いたのだ。これらのものどもはツァン河の水のごとく、理解には及ばぬものよ。彼らの行いを私は思い出せぬ、彼らは束の間いたに過ぎなかったから。彼らの姿はおぼろに覚えている、あの木々にいる小猿どものようであったぞ。彼らの名前ははっきりと覚えている、というのも河の名と韻を踏んでいたからな。つい先日まで彼らは人類(マン)と呼ばれていたのだ」
 かくして精霊は月へと飛び戻り、魔神はじっと見入るのだった。荒廃した中庭の木に登っている小さな尾なし猿に。
(了)

 いかがだろうか。東京創元社ラヴクラフト全集に収録されていないので、意外と知られていない作品かもしれない。今なら『幻想と怪奇 傑作選』に再録されている紀田訳が入手しやすいのではないかと思う。

幻想と怪奇 傑作選

幻想と怪奇 傑作選

 短い上にポオの影響が強く、クトゥルー神話大系との関連性もないので重視されない作品だが、私にとっては思い入れがある。私が初めて読んだラヴクラフトの作品が、この「記憶」の紀田訳だったからだ……と思っていたのだが、実はそれ以前に『怖い食卓』を読んでいたような気がしてきた。
怖い食卓

怖い食卓

  • 作者:筒井康隆
  • 発売日: 1990/07/01
  • メディア: 単行本
 このアンソロジーには「家の中の絵」が収録されているのだが、もしかして人食い爺さんの話がラヴクラフトとの出会いでは格好が悪いので記憶を改竄していたのだろうか。そうだとしたら我ながらスノッブな話だ。