新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

マーモセット

 ダーレスとマーク=スコラーの"The Marmoset"という合作がウィアードテイルズの1926年9月号に掲載されている。ルネサンス期のフィレンツェを舞台にした掌編だ。
 コモ氏は短剣を握りしめながら夜道を歩いていた。娘の敵を討つため、魔術師マリの家に行くところだ。
 コモがマリの家に着くと、魔術師はどこかに出かけようとしていた。コモは家に忍びこみ、魔術師の帰りを待ち受ける。家の中ではマーモセットが留守番をしていた。この猿はアメリカ原産なのだが、新大陸から連れてこられたのだろうか。
 マリが帰ってきた。対峙する二人。マーモセットがコモに駆け寄り、彼が気づく間もなく短剣を取り上げてしまう。しかしコモは恐れなかった。もう1本の短剣を懐に隠し持っているからだ。液体の入った小瓶を魔術師はコモに見せ、この毒薬の実験台になってくれる人間を探していたのだといった。飲まされてから死ぬまでの2カ月間、何を触っても灼熱した鉄の感触、食べるものはすべて腐肉の味になってしまうという怖ろしい毒だそうだ。
 コモは身を翻して魔術師の家から飛び出す。してやったりとほくそ笑むマリ。小瓶の中身はただの水だった。メディチ家が在庫をすべて買い上げてくれたので、マリの家には毒などまったく置いてなかったのだ。そこで彼はハッタリをかましたのだった。
 しかしコモは復讐を諦めたわけではなかった。彼は暗闇の中で時機を窺い、戸口に佇んでいるマリをめがけて錐剣を投げつける。錐剣は命中し、マリが地面にくずおれるのを見届けたコモは一目散に走り去った。数日後、魔術師の亡骸を見つけた人々は、彼の胸にマーモセットが錐剣で釘付けになっているのに首をひねったそうだ。
 人々は首をひねったとあるが、私もひねっている。魔術師がハッタリで復讐者を追い返したところで終わらせていれば、むしろ話としてはきれいだったかもしれない。しかし勧善懲悪を好むダーレスとしては、魔術師を殺さないわけにはいかなかったのだろう。それだけでは味気ないので多少ひねりを加えたいと思った結果が、魔術師と猿の田楽刺しという奇怪なオチだったのだろうか。
 この作品がラヴクラフト・ダーレス往復書簡集に出てくるのではないかと思って調べたところ、ダーレスは1926年10月15日付のラヴクラフト宛書簡で言及していた。「私と『マーモセット』を合作したのはスコラー氏です」とあるだけなのだが、その後の記述がむしろ興味深い。「去る5月、私はひどく具合が悪かったのですが、そのときに私が発信した思念波をスコラーは受信したそうです」などと書いてあるので吹きそうになった。テレパシーで心が通じ合っていると思えるほど仲のいい友達同士だったということなのだろうが、いろいろな意味で「彼もまだ17歳だったんですから」というしかない。
 "The Marmoset"はダーレスがマディソンに進学する前に執筆された作品ということになるが、当時の合作のことは覚えていないとスコラーは1971年のエッセイで語った。一方、彼らが二人でパルプ小説を量産した1931年の夏には次のような舞台裏があったそうだ。

私たちが仕事場にしていた川辺の掘っ立て小屋ではなく別のところに行きたい――ダンスをしたり一杯やったりしたいと私が思っても、しばしばダーレスは私にお粗末な原稿を無理やり書かせたものだった。

 ダーレスの考えた案に従ってスコラーが「お粗末な原稿」を書き、それをダーレスが手直しして作品が完成する。共同作業とはいってもダーレスが主導権を握っていたのだろうと見当はついていたのだが、まさか逃げ出そうとするスコラーに執筆を強要していたとは。スコラーは述べている。

だがダーレスが私の心を挫いたというわけではなかった。むしろ逆で、彼が私の心を創ったのだ。

 結構すごいことを言っている。しかも実はダーレスのほうが年下だ。