新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

いかなる限界をも超えて

 Vampires: The Greatest Stories所収の未訳作品のうち、最重要といってよいのはカール=エドワード=ワグナーの"Beyond Any Measure"だろう。1983年度の世界幻想文学大賞であるにもかかわらず、未だに邦訳がない。題名は『ロッキーホラーショー』の歌詞の一節"erotic nightmare beyond any measure"に因んだものだという。ワグナーの作品では「夜の夢見の河」も『ロッキーホラーショー』の歌詞から題名を借用しており、いわば姉妹編に当たる。どうせなら姉妹そろって日本語で読みたいものだ。
 主人公はリゼット=セイリグという大学生。サンフランシスコから英国に留学し、ダニエル=ボーランドと同棲しながらロンドン大学芸術学部に通っている。リゼットは金髪で緑の眼、ダニエルはブルネットで栗色の眼という取り合わせ。リゼットが悪夢を見ているところから物語は始まる。
 リゼットは独り寝室にいた。音楽が聞こえてくる。室内の調度は後期ヴィクトリア風で、帳を下ろした大きな寝台があった。寝台の傍らにある小さなテーブルの上には金のオルゴール時計があり、音楽はそこから聞こえてくるのだ。リゼットが時計を見ると、ほとんど真夜中だった。時計のケースの内側には一枚の写真があり、誰の写真か見ようとリゼットは時計を手に取る。写真は赤い染みでぼやけていた。鮮血だ。リゼットが急に恐怖に駆られて顔を上げると、ベッドの中から手が帳を開けて……。
 リゼットが悪夢に悩まされていることを知ったダニエルは、精神科医のイングマル=マグナスに診てもらうことを勧める。マグナス博士は転生に関する独自の説で名高い人物だった。リゼットは再び夢を見たが、今度は薄暗い通路を歩いている夢だった。大きな姿見を見つけて手を触れると、それは鏡ではなかった。自分自身の鏡像と見えたものが腕を伸ばしてリゼットを捕らえ、抱擁する。リゼットは悲鳴を上げ……そしてダニエルが彼女を起こした。
 リゼットはマグナス博士に診察してもらうことにした。博士は転生についてリゼットに説明し、あなたが真実の自己を見いだす手助けをするのが自分の役目だという。その手段となるのが催眠術だった。とりあえず話を聞いただけでマグナス博士のもとを辞去したリゼットだったが、帰り道に変な男から声をかけられる。その男はリゼットを誰か自分の知り合いと勘違いしているようだった。
 ダニエルが熱心に勧めるので、リゼットはマグナス博士に催眠術をかけてもらうことにした。博士はリゼットを催眠状態にし、「私が三つ数えたら、あなたは目を覚ます。私が『琥珀』といったら、深い深い眠りに再び落ちる」と言い聞かせてから質問を開始する。幼児期を経て前世まで遡ったリゼットは博士の問いに答えた。ヴィクトリア女王の在位60年を祝う宴会が開かれている。彼女の名はエリザベス=ベレスフォード、チェルシーに住んでいる。しかし急に彼女の表情が歪んだ。
「また暗くなりました。私はひとりぼっち。蝋燭の光は十分に明るいのに、私には自分の姿が見えない。蝋燭に照らされて、そこに何かあります。私は近づいていきます。棺桶だわ」
 リゼットの声は怯えていた。そこまで喋ったところで、マグナス博士は三つ数えて彼女を目覚めさせる。エリザベス=ベレスフォードの人生に関する知識をリゼットが持っているのが記憶の遺伝によるものなのか、それとも転生によるものなのかをはっきりさせるために、エリザベスがリゼットの先祖であるかどうかを調査しようというのが博士の計画だった。
 ベス=ギャリントンという裕福な女性がリゼットとダニエルを仮面舞踏会に招待する。彼女はダニエルの友人の友人で、ダニエルの描いた絵をたいそう気に入っており、ぜひとも買いたいと申し出ていた。「どの絵のこと?」とリゼットに訊かれたダニエルは答える。「あれ、まだ言ってなかったっけ? あなたを描いた絵よ」
 ベレスフォードとギャリントン――二人のエリザベスには何か関係があるのか? 余談だが、リゼットとダニエルはどうやら恋仲らしく、浴室での濡れ場がある。
 再びマグナス博士の診察室で催眠術をかけられるリゼット。闇の中、雨の中を彼女は独りで歩いていた。墓地におり、盤上に置かれたチェスの駒になったような気分だ。着ているものはガウンだけ、足には何も履いていない。ハイゲート墓地にいるのだが、どうして自分がそのことを知っているのかはわからなかった。胸に真っ赤な染みができているのに気づいたリゼットが悲鳴を上げようとすると、まだ飲みこんでいなかった血がおびただしく口から溢れ出し……そしてマグナス博士が彼女を目覚めさせた。
 リゼットとダニエルはベス=ギャリントンの仮面舞踏会に出席した。舞踏会は参加者にシャンパンとコカインを大盤振る舞いする非常に贅沢なもので、そこでリゼットはエイドリアン=トレガネットという男に出会う。マグナス博士の診察室から帰る途中のリゼットに声をかけた変な男というのは彼で、あなたが自分の知人に本当に瓜二つだったものですからとトレガネットはリゼットに詫びた。宴たけなわとなったところで、ボンデージルックの上から蛇を巻きつけた凄い恰好のベス=ギャリントンが登場する。皆はこぞって女主人を称えたが、仮面の後ろからベスに見つめられたリゼットはその場にくずおれてしまい、ダニエルが彼女をアパートに連れて帰った。
 リゼットとマグナス博士はケンジントンチャーチ通りのパブで面談中だ。博士の治療を受けるようになってから悪夢がますますひどくなっていると訴え、催眠術をやめたいと希望するリゼット。ここで治療を打ち切ったところで症状が改善する保証はないと半ば脅しながら、あなたが真の自己を見出すためには続けなければならないと説得する博士。「夜の夢見の河」のアーチャー博士もそうだったが、およそ患者のためになっていない。この辺は精神科医に対するワグナーの見方が現れているのだろうが、実はワグナー自身がノースカロライナ大学チャペルヒル校で精神科を専攻しており、医師免許も持っていた。とにかく催眠術はもう止めたいのですとリゼットは突っぱねるが、その時マグナス博士は「琥珀」と唱えた。
 一方、ダニエルはアパートでリゼットの遅い帰りを待っていた。いつまで経っても帰ってこないリゼットにしびれを切らしたダニエルは先にシャワーを浴びることにするが、その最中にリゼットが浴室に入ってきて背後からダニエルを抱きしめる。されるがままになっていたダニエルだが、振り向くと彼女はリゼットではなかった。
 真夜中近くになってから帰宅したリゼットは、ダニエルが浴室で息絶えているのを発見した。遺体は両手首を縦に切り裂かれており、死因は大量出血だった。手首を横ではなく縦に切れば確実に死ねるとワグナーは"Into Whose Hands"にも書いているが、医者らしいトリビアではある。おびただしく流れたはずの血は残っておらず、排水溝に流れこんだものと思われた。またダニエルの首の左側も切開されており、スコットランドヤードは自殺と他殺の両面から捜査を開始した。第一発見者のリゼットも被疑者だ。
 リゼットのもとに電話がかかってくる。ベス=ギャリントンからだった。ベスはダニエルの死を嘆き、自分の屋敷に泊まるようリゼットに勧める。リゼットは逡巡するが、すぐ近くに殺人鬼が潜んでいるかもしれないのだからといわれてベスの厚意を受け入れることにする。ベスはもうリゼットのアパートに迎えの車を向かわせていた。
 マグナス博士はエリザベス=ベレスフォードの家系を調査していた。彼女は1879年に生まれ、1899年にドナルド=ステープルドン大尉と結婚。1900年に死亡してハイゲート墓地に埋葬されたが、1カ月後に墓場をさまよっているところを発見される。夫妻は海外に引っ越したが、ステープルドン大尉は1902年に世を去り、エリザベスはロンドンに帰ってきた。夫と両親の莫大な遺産を相続した彼女は自分の屋敷に人々を招いては乱痴気騒ぎを繰り広げ、第一次世界大戦の終わり頃まで悪名を流し続けた。戦争が終わると彼女はロンドンを去ってアジアへ行き、1924年にインドで死亡したと伝えられている。
 エリザベスの一人娘ジェイン=ステープルドンは1901年に生まれ、1925年にロンドンへやってきた。ジェインはエリザベスそっくりの美貌の持ち主だったが、淫奔な性格も母親譲りで、エリザベスが生きていた頃の狂宴が彼女の屋敷で再び繰り広げられることになった。一説によると彼女はアレイスター=クロウリーとも親交があったそうだ。
 ジェインは1943年に失踪し、空襲で死亡したものと考えられている。ジェインの娘ジュリア=ウェザーフォードは米国で暮らしていたが、1946年にロンドンに引っ越して母親の遺産を相続した。ジュリアも1967年に欧州大陸へ去り、彼女の姪だというベス=ギャリントンが1970年に現れた。
 エリザベス・ジェイン・ジュリアそしてベス――皆そっくりな姿、そして果てしなく続く宴……。マグナス博士はひとつの荒唐無稽な仮説に達さざるを得なかった。だが、ならばリゼットは? 後催眠まで使って実験を続行させたことに良心の呵責を覚えながら博士はタクシーに飛び乗り、リゼットのアパートに直行する。そこで待ちかまえていたのはスコットランドヤードのブラッドリー警部補で、リゼット=セイリグならベス=ギャリントンの屋敷に泊まっているから大丈夫だと博士に告げた。
 心身ともに疲労困憊した状態でベスの屋敷に招き入れられたリゼットは軽く午睡をとろうとするが、目を覚ますと真夜中近くになっていた。素っ裸に古風なガウンを羽織っただけの格好でリゼットが寝室を出ると、かすかに音楽が聞こえてきた。聞き覚えのある音楽――夢の中で聴いたオルゴール時計の音色だった。音楽の聞こえてくる方向に引き寄せられるかのようにリゼットは歩いて行き、広々とした寝室に足を踏み入れる。帳を下ろした大きな寝台、その傍らにあるテーブルの上で燃えている蝋燭が唯一の灯り。そして金のオルゴール時計――リゼットの悪夢を再現した光景だった。
 リゼットは時計を手に取り、ケースの中の写真を見る。そこに写っていたのは彼女自身の姿だった。恐怖に満ちた面持ちでリゼットが寝台を見つめていると、その内側から手が帳を開け放つ。悲鳴を上げることができたら、目を覚ませたらと願っているリゼットの前で、寝台に横たわっていた人物が起き上がって彼女を見つめた。リゼットそっくりの姿をした美女――ベス=ギャリントンだ。
「リゼット=セイリグ、私の顔を持つおまえは誰なのだ?」
 マグナス博士が推測したとおり、エリザベス=ベレスフォードとベス=ギャリントンは同一人物だった。生きたまま埋葬されたエリザベスは墓の中で吸血鬼となり、魂と引き換えに不死を獲得したのだ。彼女は100年以上も生き続けてきたが、自分そっくりの娘がいるとエイドリアン=トレガネットから知らされてリゼットに興味を抱いた。吸血鬼になったとき、墓の中で死に瀕していた自分を彼女自身が見つめていたという悪夢に悩まされていたからだ。ダニエルを殺したのも彼女だった。
「おまえの愚かな友人は吸い尽くして捨ててやったが、おまえにはそんなことはせぬ。しないぞ、リゼット。新しく見つけた妹よ。おまえの命は夜な夜な小さな接吻で奪い取ってやる――おまえは己のすべてと引き換えにしてでも、その接吻を欲しがるようになるだろう」
 そんなことをいいながらベスはリゼットと裸で絡み合っているのだが、その辺の描写は割愛させていただく。白く輝く牙をベスはリゼットの喉に突き立てたが、急に苦痛の叫び声を上げて飛び退った。喉から血を流しながらベスを見つめるリゼットの顔には、憎悪に満ちた微笑が浮かんでいた。
「おまえは何者だ、リゼット=セイリグ?」
「私はエリザベス=ベレスフォード」リゼットの声には容赦がなかった。「前世において、おまえは私の魂を身体から追い出し、私の肉体を乗っ取った。かつて所有していたものを取り戻すために、私は今こそ戻ってきたのだ」
 ベスが逃げる間もなくリゼットは彼女を力いっぱい抱擁した。夜の静寂をつんざいたのは、快楽の叫びではなかった。
 その悲鳴が消えやらぬうちに、マグナス博士とブラッドリー警部補が駆けこんできた。ベス=ギャリントンが黒魔術の儀式でリゼットを生贄にしようとしていると博士は警部補を説得し、自分とともに彼女の屋敷に乗りこませることに成功したのだ。
 博士と警部補が2階に駆け上がると、ベスの寝室には二つの骸が転がっていた。ひとつは殺されたばかりで、喉から鮮血を流しているが、一人の身体から流れ出たにしては血の量が多すぎるようだった。もうひとつは死んでから長い年月が経過し、すでに干からびていた。娘の遺体はミイラにのしかかられながら抱きしめ、その喉笛に食らいついていた。
「彼女は吸血鬼だったのです」とマグナス博士はいった。「吸血鬼は魂をなくしていますが、魂が滅びることはありません。前世の肉体が魂のない悪鬼と化しても、魂は生き続けます。エリザベス=ベレスフォードの魂は生き続け、とうとうリゼット=セイリグに転生したのです。わかりますか? エリザベス=ベレスフォードは自分自身の生まれ変わりに出会い、そのことは双方の破滅を意味していました」
「だが、私は正しかったのだ!」そういうマグナス博士の眼には狂気が宿っていた。「魂が不滅にして無窮であるならば、魂にとっては時間など何の意味もない。エリザベス=ベレスフォードは自分自身に憑かれていたのだ」
 私の拙い文章では本作の魅力を十分に伝えることなど到底できないが、最後にひとつだけ興味深い情報を付け加えておこう。ローランド=フランクリンなる作家のWe Pass From Viewという著作にダニエルがリゼットとの会話の中で言及する場面があるのだが、これはラムジー=キャンベルが創造した架空の書物だ。We Pass From Viewの来歴と内容はキャンベルの"The Franklyn Paragraphs"で語られているが、詳しいことは割愛させていただく。ただし輪廻転生がテーマの本なので、ワグナーが持ち出したのにもちゃんと意味があるのだ。またWe Pass From Viewにはクトゥルー神話なかんずくアイホートのことも記されているので、"Beyond Any Measure"も神話作品の範疇に含めてよいのではないかと思う。
 私がVampires: The Greatest Storiesを買ったのもワグナーの作品が目当てだったのだが、その後Where the Summer Endsというワグナーの作品集がセンチピード=プレスから刊行され、"Beyond Any Measure"も収録されている。編者はスティーヴン=ジョーンズで、アーカムハウスを彷彿とさせる非常に良い本に仕上がっている。ただし"Beyond Any Measure"だけを今すぐ読みたいのであれば、同じくジョーンズが編集したThe Mammoth Book of Vampiresが手軽だろう。ワグナーの傑作を埋もれさせることなく、21世紀の読者のもとに届けてくれるジョーンズに感謝したい。

Where the Summer Ends: The Best Horror Stories of Karl Edward Wagner

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