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主にクトゥルー神話のことなど。

ラヴクラフトの知り合いの女性

 アーカムハウスラヴクラフト書簡集には1936年9月30日付のロバート=バーロウ宛書簡が収録されているが、長い手紙であるため約半分が省略されている。削られた部分はO Fortunate Floridian で読むことができ、そこにもなかなか興味深いことが書いてあった。

次はストレイチーの"Capitalist Crisis"を読むつもりです――この本の持ち主*1にいわせると、読めば私もたちどころに真正の共産主義者になれるそうです。

 ジョン=ストレイチーは英国の政治家。アトリー内閣の陸相を務めた人だが、1930年代にはマルクスレーニン主義の理論家として活動していた。彼の著作を知り合いからわざわざ借りて読むあたり、当時のラヴクラフト社会主義に傾倒していたことが窺える。

モートンは当地から直接ハーバードの300年祭に参加しに行き、もちろん今ではとっくにパターソンに戻っています。スターリングは300年祭を欠席し、ニューヨークで御両親と一緒に過ごすことにしました。彼はマギー嬢に会おうとしていたのですが、彼女が自宅に戻ってくる前にケンブリッジへ行かなければなりませんでした。

 ハーバード大学は1936年に創立300周年を迎えており、卒業生のジェイムズ=モートンと在学中のケネス=スターリングが記念式典に招かれたようだ。ラヴクラフトが「マギー嬢」と呼んでいるのはマーガレット=シルヴェスターのこと。ラヴクラフトのファンだった女性で、当時18歳だった。ラヴクラフトスターリングやバーロウと彼女を引き合わせようとしていたのだが、会いに行ったスターリングとは対照的にバーロウはおよそ興味を示さなかった。*2

9月19日から20日にかけて、若きボブ=モオがブリッジポートから当地に来てくれました――主な目的は、同郷の若い女性に会うことです。非常に聡明かつ魅力的な人で、ブラウン大学の大学院で哲学を専攻しようとしているところです。モオは1928年型のフォードに乗って到着し、私は二人に市内や郊外の名所を案内してあげました。この若き哲学者は――ユーニス=フレンチという名前ですが――まことに非凡です……君やガルピンやスターリングと肩を並べられるほどの人物ですよ。彼女は去る6月にヴァッサー大学を卒業しており、歩く百科事典と呼べるほどの博学です――しかも音楽の才能があり、ピアノとチェロの名手です。君が彼女に会えるほど当地に長居してくれなかったのは、返す返すも残念なことです。

 やたらとバーロウを女の子に会わせたがるラヴクラフト。もっともバーロウにとっては、女性と会うよりもラヴクラフトと遊ぶほうが楽しかったのだろう。
 ユーニス=フレンチについてはS.T.ヨシですら「ほとんど知られていることがない」と述べているほどだが、ネットで検索したら情報がいくらか見つかった。
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=79910660
 1915年にミルウォーキーで生まれたとある。ヴァッサー大学の卒業生でチェロを弾いたというのもラヴクラフトの記述と一致しており、この人で間違いないだろう。彼女は1949年に夭逝したということだが、ラヴクラフトには若い女性の知り合いが案外たくさんいたようだ。だがラヴクラフトはむしろ若い人同士の交流を助けようとし、自らは一歩退いた姿勢を保っていた。彼のそういうところが却って好感を呼んでいたのかもしれない。

O FORTUNATE FLORIDIAN

O FORTUNATE FLORIDIAN

*1:おそらくウッドバーン=ハリス。

*2:ラヴクラフトと文通した少女 - 凡々ブログ