新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

北海の剣

 ロバート=E=ハワードに"Swords of the Northern Sea"という短編がある。ハワードの生前は日の目を見ることがなく、1974年にようやく発表されたのだが、ケルトの戦士コーマック=マックアートが主役の作品だ。
 コーマック=マックアートはバイキングの王ラグノルのもとにいた。乗っていた船が難破し、彼だけが生き残ったというのだ。ラグノルは彼の実力を知ろうと手練れの部下を立ち向かわせたが、コーマックは片端から圧倒してみせた。これほどの強者であれば、ラグノルも客将として迎えるにやぶさかではない。
 明日は俺の婚礼の日だとラグノルは上機嫌で語り、新婦になる予定の美少女を連れてこさせた。彼女はタララというブリトン人のお姫様で、数カ月前にさらわれてきたのだ。ラグノルは彼女を手なずけるつもりだったが、タララは毅然とした様子で、おまえの豚面など見るに堪えないと言い放った。
 ビザンチウム出身の侏儒が広間に入ってきて、タララと駆け落ちの相談をしていた男がいると告発する。その男はラグノルの重用する若武者ハーコンだった。タララとハーコンの密談を盗み聞きしたと証言するものが他にも現れ、彼の罪状は決定的になる。
「おまえではなく彼を愛して何が悪い?」と叫ぶタララ。「おまえは粗野で残忍だが、ハーコンは親切だ。彼は勇敢で寛大だ。とらわれの身になった私を人間らしく扱ってくれた唯一の男だ。私は彼と結婚するか、さもなくば――」
 ハーコンは剣を抜き、タララも腰掛けで侏儒をぶん殴るが、多勢に無勢で二人とも捕らえられてしまった。ラグノルは激怒し、ハーコンを処刑することに決める。引き立てられていくハーコンはコーマックの顔を見て一言だけ囁いた。
「狼よ!」
 夜更けになり、ハーコンの閉じこめられている牢屋にコーマックが忍びこんできた。狼のコーマックという彼の二つ名をハーコンが知っているからには、現在の立場もばれているに違いない。コーマックはデーン人の首長ウルフヘレが片腕と恃む存在であり、そのことをラグノルが知ったら彼を生かしておかないはずだった。
「おまえの喉を切り裂いて口封じをすることもできるのだぞ?」とコーマックはいった。
「できるだろうが、抵抗できない人間をそんな風に殺すのはコーマックの流儀ではあるまい」ハーコンは平然としている。
「確かにな」コーマックはにやりとした。「何が望みだ?」
「取引をしたい。俺を逃がしてくれたら、ラグノルに告げ口はせぬ。ラグナロクの日まで秘密は胸にしまっておく」
 ハーコンには15人の同志がおり、丘陵地帯で待機している。指導者であるハーコンさえ脱出して彼らと合流できれば、ラグノルの暴政に叛旗を翻す機会はあるはずだった。自分を信頼してくれたハーコンにコーマックも秘密を打ち明ける。彼が難船したというのは本当だったが、彼以外にもウルフヘレなど50名の戦士が生き残っていた。彼らのために船を手に入れることが俺の目的だとコーマックはいう。
 コーマックは牢番を縛り上げてハーコンを脱獄させ、さらにタララを救い出しに行く。タララが閉じこめられている部屋の鉄格子をハーコンは剣で切り刻もうとしたが、コーマックは彼を制止した。
「それでは音がうるさい。俺にやらせろ」
 そういうなり、コーマックは鉄格子を素手で引きちぎってしまった。あまりの怪力ぶりにハーコンも唖然とするしかない。コーマックはハーコンたちといったん別れ、ウルフヘレのもとへ戻ったが、ハーコンとタララが逃げたことは早くも知れ渡っていた。ラグノルは山狩りを始め、その姿を見てウルフヘレは血気にはやる。無用な殺しをしてはならぬとコーマックはウルフヘレを戒めた。
 コーマックは再びハーコンと落ち合う。15名の武装した同志が勢揃いしていたが、そこにはタララの姿もあった。危険だから隠れていてくれとハーコンはいうが、タララは聞く耳を持とうとしない。
「生きるも死ぬも一緒だ」とタララはいう。「君の仲間より私のほうが剣は得意だぞ」
「君の家庭で誰が真の家長になるか、楽に予想がつくな」とコーマックは微苦笑した。
 同志たちとともにラグノルの館へ向かうハーコン。コーマックとタララも彼らに同行した。途中、彼らが見たものは縛り首にされたまま放置されている牢番の姿だった。ハーコンを逃した咎で制裁を受けたのだ。これがラグノルのやり方だとコーマックはうめき、必要もないのに人を殺してはならないと繰り返す。
 ラグノルが山狩りのために部下の大半を連れて行ったので、彼の館に残っている戦士は少数だった。ハーコンは寝込みを襲って火を放つ。館が燃えているのを見たラグノルが引き返してきたが、ハーコンたちは厩舎に立てこもって応戦した。コーマックはウルフヘレに合図した。
「今だ!」
 ウルフヘレと50人の仲間が参戦し、大乱戦になった。ハーコンは強敵と戦って窮地に立たされるが、間一髪のところでタララが彼の前に飛び出し、敵の刃を受け止める。タララも斬撃の激しさに押されて地面に膝をつくが、コーマックが加勢して敵を仕留めた。
 ラグノルはウルフヘレと一騎打ちをし、死闘の末に斃された。ラグノルの側近もことごとく討ち取られる。数では敵のほうが圧倒的に優勢のままだが、彼らはすでに浮き足立っていた。コーマックに促されたハーコンは生き残りの敵に呼びかける。
「もとより我々は同胞だ! 戦いをやめれば身の安全は保証するぞ!」
 ラグノルがいなくなった今、仲間割れをする必要はない。皆はハーコンの呼びかけに応じ、争いをやめることにした。ハーコンはコーマックとウルフヘレに新しい船を渡す。
「君はまさしく戦姫だな」コーマックはタララにいった。「君の子たちは王侯になることだろう」
「まったくだ」タララと握手しながら、ウルフヘレも同意する。「もしも俺が婚活中なら、君をハーコンから横取りしたくなっていたかもしれん。だが別れの時だ。幸せにな」
 こうしてラグノルの部族は暴君から解放され、英明な新しい王をいただくことになった。またブリトン人の姫君であるタララとハーコンが結婚することにより、今後バイキングとブリトン人の間で同盟が結ばれることになるだろう。アングル人やサクソン人に圧迫されて苦しむブリトン人にとって、頼もしい同盟者の存在は朗報に違いない。そして、もちろんタララとハーコンは望み通りに添い遂げることができたわけだが、してみると1隻の船を得ただけのコーマックとウルフヘレがもっとも得をしていないということになりそうだ。それでも彼らは満足していた。
「どこへ行こうか?」ウルフヘレはコーマックに訊ねた。「君に任せるぞ」
「まずは剣の島で人員を補充して」とコーマックは答えた。「その後は世界の涯まで行ってやるか!」
 暁の海にコーマックたちが船出していくところで物語は終わる。血なまぐさい話かと思いきや、えらく読後感がさわやかだった。無用な殺しはしないという掟を自らに課し、すべてのものに最善の結末がもたらされることを目指すコーマック=マックアートには好漢という言葉がぴったりだ。