新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

ゴール=ニグラル異聞

 ラヴクラフトがウィリス=コノヴァーに宛てて書いた1936年8月14日付の手紙から。

君の魔道書目録はまことに印象的であり、私は題名を見ただけで戦慄するほどです。これまでに私が聞いたことのある題名はひとつしかありません――すなわち(あの恐るべき名前を書くことが私にできましょうか?)ミュルダーの悪名高い『ゴール=ニグラル』です。一度だけ実物を見たこともあるのです――ですが中身を見たことはありません。もう何年も前の話なのですが、アーカムで――ミスカトニック大学図書館での出来事でした。私がいたのは大きな閲覧室の薄暗い一角で、机の向こう側にいた人物が大部な書物を読んでおりました。その人物の顔は大冊の陰にすっかり隠れていましたが、古々しいゴシック体で書物の表紙に『ゴール=ニグラル』と記してあるのは見て取れました。その書物について知っていることを思い出して、私は震え上がりました――また黙りこくって『ゴール=ニグラル』を読んでいる人物のほうを他の来館者がちらちらと見ては、そっと一人ずつ閲覧室から立ち去りはじめたので、私は漠然と胸騒ぎがしました。無言でページを繰っている例の人物と私はとうとう二人きりになってしまい、私の不安な気持ちは堪えがたいほどでした――そこで私もこっそりと出口へ向かいました……『ゴール=ニグラル』を読んでいる人物のほうは絶対に見まいとしていたのですが、その理由は自分でもわかりません。その頃には部屋はすっかり暗くなっていましたが、夕暮れまではまだ時間があるはずでした。私は椅子につまずき、思わず叫び声を上げました――ですが、それに応える物音はありませんでした。この時、眼もくらむばかりの恐るべき閃光と、耳を聾さんばかりの雷鳴があったのですが、図書館の外には嵐の気配などありませんでした。館員が駆けつけてきました。停電していたので、誰かが蝋燭を持ってきました。『ゴール=ニグラル』を読んでいた人物は絶命しており、その死顔は思い起こしたくもないようなものでした。形相は奇妙にも異様で、髪とひげは病的な斑をなしていました。皆が『ゴール=二グラム』から努めて眼を背けるようにしていたのですが、骨張った褐色の手がその書物をしっかりと握りしめており――館員は死者の手から本を引き離すのも気が進まないようでした。とうとう彼らが作業にとりかかったとき、たいそう奇怪なことが起こりました。死者の手は本を離すのではなく、不自然にも手首のところでちぎれて赤い塵を巻き上げたのです――死体そのものもつられて引っ張られたのですが、いきなり粉々になってしまい、緑色に黴びた衣服の山が椅子の上に残っただけでした。その服は30年も前に埋葬された男のものであるということが後に判明しました――クライストチャーチ霊園にある彼の墓は空になっていました。その日以来、ミスカトニック大学図書館の地下にある金庫室から『ゴール=ニグラル』が持ち出されたことは一度もありません。

 魔道書『ゴール=ニグラル』にまつわる異様な物語。ラヴクラフト自身がミスカトニック大学図書館で経験した出来事という体裁をとっており、実話系怪談の趣がある。