新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

ラヴクラフトと文通した少女

 ハリー=K=ブロブストが"Autumn in Providence"で次のように回想している。

ラヴクラフトさんは本物の紳士ね」と僕の妻がいったことが忘れられません。本当にその通り、ラヴクラフトは本物の紳士でしたよ。

 ミュリエル=エディやヘイゼル=ヒールドもラヴクラフトのことを称賛しているし、彼は女性にも人気があったようだ。
 ラヴクラフトと文通していた女性の一人にマーガレット=シルヴェスターがいる。彼女がラヴクラフトと知り合ったのは1934年のことで、当時はコロラドに住んでいた。1918年生まれなので、まだ16歳だったわけだ。ラヴクラフトの友人としては、もっとも若い部類に属する。
 ラヴクラフトはロバート=バーロウ宛の書簡でたびたびシルヴェスターに言及し、彼やケネス=スターリングとシルヴェスターを引き合わせようとしていた。バーロウは1918年生まれ、スターリングは1920年生まれなので、シルヴェスターとは同年輩ということになる。
 若い怪奇文学ファン同士の交流を取り持つことにラヴクラフトは熱心だったようで、たとえばバーロウに宛てた1934年8月22日付の手紙では「君もシルヴェスター君も名優ベラ=ルゴシの大ファンですから、きっと気が合うのではないでしょうか」と水を向けている。もっともバーロウの側はさほど気乗りがしなかったらしく、ラヴクラフトへの返事も「僕は別にルゴシが好きじゃないんですけど」という冷ややかなものだった。ラヴクラフトは9月1日付の手紙でバーロウに謝り、ついでにルゴシを擁護している。
 ラヴクラフトに関することなら何も見逃さないS.T.ヨシとデイヴィッド=E=シュルツはマーガレット=シルヴェスターについても調べており、『H.P.ラヴクラフト大事典』には彼女の項目がある。結婚して姓をロナンと改め、ラヴクラフトの作品集を編集したという程度の記述しかないが、彼女はその後どうなったのだろうか。ネットを検索してみたところ、マーガレット=D=ロナンという人物が2010年12月14日に死去したという情報が出てきた。同一人物なのかどうかは定かでないが、ファーストネームとラストネームと生年は一致している。
Margaret D Ronan (1918 - 2010) - Hudson, OH
 2010年といえば、同じ年の1月13日にブロブストが他界している。かつて私はブロブストを「ラヴクラフト・サークル最後の一人」と呼んだことがあるが(参照)、ラヴクラフトを個人的に知る人々の中ではマーガレット=シルヴェスターこそが最後の生き残りだったのかもしれない。