新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

風より生まれて

 ブライアン=ラムレイに"Born of the Winds"というクトゥルー神話小説がある。1976年度の世界幻想文学大賞の候補になった作品なのだが、題名から見当がつくようにイタカの話で、しかもスティルウォーターとその周辺が舞台という直球勝負の内容だ。
 "Born of the Winds"はデイヴィッド=ラートンという米国人の気象学者が語り手で、彼の遺した手記という体裁になっている。ラートンにはアンドリュースという元判事の親友がおり、ナビサで悠々自適の暮らしをしていた。アンドリュース判事に招かれたラートンが休養のためにナビサを訪れるところから物語が始まる。
 ラートンが判事の家に滞在していると、来客があった。年齢不詳の女性だ。文化人類学者サミュエル=R=ブリッジマンの未亡人ルシルだと判事はラートンに教えた。サミュエル=ブリッジマンは奇矯な学説を唱えた学界の異端児で、20年前にナビサの附近で怪死していた。
 ラートンは判事からブリッジマンの著作を借りて読みふける。ブリッジマンの本は風の神に関する伝承や信仰をまとめたもので、イタカという神への言及があった。イタカは旧神に反逆したため北極に封印されたという説も紹介されているが、彼こそが風の神の筆頭であると匂わせる記述があるのが興味深い。どうやらラムレイはハスターをあまり重視していないようだ。
 ルシルが再びアンドリュース判事を訪ねてきた。息子のカービーが行方不明になってしまったので、彼を捜す手伝いをしてくれる人を見つけてほしいと頼みに来たのだ。亡きサミュエルは判事の親友であり、どうかルシルを助けてやってほしいと判事はラートンに懇願する。ラートンは引き受けることにした。
 怪物同士が戦う光景が浮彫になった黄金のメダルをアンドリュース判事はラートンに渡した。サミュエル=ブリッジマンが死んだとき、彼の遺体と一緒に発見されたものだという。その晩、ラートンは悪夢を見た。海底に沈んだ巨大な石造都市や、天空を闊歩する巨神にうなされて彼が飛び起きると、耳を聾さんばかりの風の音が聞こえた。ところがカーテンを開けてみると、窓の外は完全に静まりかえっている。例のメダルは窓縁に置いてあったが、ラートンが後ずさりした拍子に床に落ちてしまった。すると風の音はたちまち止んだ。
 3日後、カービーとおぼしき若者を目撃したという情報が寄せられた。その翌日、1週間分の食糧を携えたラートンとルシルは二人乗りのスノーモービルに乗って出発する。二人が向かった先はスティルウォーターで、騎馬警官のマコーリー巡査が彼らを出迎えてくれた。全住民が一斉に失踪するという事件が数十年前に起きて以来、スティルウォーターは住む者もなく荒れ果てるままになっていたが、誰かが食事をした痕跡が廃屋のひとつにあった。そこにカービーがいたのだとルシルはいった。
 ラートンとルシルはマコーリー巡査と別れ、林の中で野宿しようとテントを張った。氷点下の気温であるにもかかわらず、ルシルは着ていたパーカを脱ぎ捨て、平然と木々の間を散策しはじめる。彼女は寒さをまったく感じていないのだ。
 寒さを感じなくなったのは夫が死んでからだとルシルは語った。20年前、ナビサの北でフィールドワークに従事していた夫妻は吹雪に巻きこまれ、ルシルだけが錯乱しながらも生還した。サミュエルは凍りついた死体となって発見され、それから8カ月後にルシルは男の子を産んだ。カービーである。だが彼はサミュエルの子ではなく、サミュエルを殺したものが彼の本当の父親だとルシルは考えていた。
 カービーは不思議な少年だった。大嵐の晩、ルシルが怯えているのを見たカービーが窓の外に向かって叫ぶと嵐はたちどころに止んだという。カービーの作る模型飛行機はとても奇妙な格好をしていたが、信じられないほどよく飛んだ。そしてルシルがカービーと一緒にマヤの遺跡へ旅行したとき、カービーが高所から飛び降りるという事件があったが、彼は傷ひとつ負わなかった。
 ラートンとルシルは風の神の信徒たちに監視されていた。白人の男が二人の前に現れ、探索を打ち切るよう要求する。儀式を妨害することは許されないが、余計なことをせずに今すぐ引き返すのであれば、ナビサに辿り着くまでの間は嵐を止めると彼はいった。ルシルは同意すると見せかけて探索を続行し、ラートンも彼女に同行することにした。儀式は森の中で行われることになっている。信徒たちの隙を突いてカービーを救出し、スノーモービルで逃げるというのが二人の計画だった。
 真夜中近く、ラートンとルシルは森の中に乗りこんだ。人種も年齢も雑多な150人ほどの信徒がイタカを讃えて詠唱しており、そこにカービーもいた。ついにイタカが降臨する。ルシルは大声で息子の名を呼び、邪魔されたことに憤激したイタカは巨大な氷塊を天から降らせて彼女を叩き潰した。氷塊は次から次へと降り注ぎ、信者たちを血みどろの骸に変えていく。母親が殺されるのを見たカービーはイタカと同じ姿に変身し、イタカに飛びかかっていった。
 たった一人だけ生き残ったラートンはかろうじて脱出したが、すぐにスノーモービルが故障してしまう。自らの運命を悟ったラートンはテントの中で手記を書き続けた。いまや彼にできるのはそれだけだからだ。ひっきりなしに嵐の音が聞こえたが、テントの外では風など吹いていなかった。そのことに気づいたラートンは黄金のメダルを雪の中に投げ捨てる。いずれにせよ、イタカはすぐそこまで来ている……。
 ラートンとカービーの運命を告げる短い新聞記事で物語は終わっている。「風に乗りて歩むもの」に「ダニッチの怪」を混ぜ合わせたような話だが、読み応えは充分あるというのが私の感想だ。自分を崇めるものも、自分に抗うものも等しく滅ぼすイタカのすさまじさを描いたクライマックスはなかなかの迫力だ。
 人間の女性とイタカの間に生まれた子が父ではなく母を選び、イタカに反逆するという点も注目に値するだろう。後にラムレイはこのプロットを発展させて長編を書いた。それがクロウ・サーガの第4部に当たるSpawn of the Winds だ。いずれ東京創元社から邦訳が刊行されるはずである。