新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

恋人小路より来るもの

 ニューイングランドにあるクトゥルー神話ゆかりの地といえばアーカムやダニッチが有名だが、他にはミスティバレーがある。これはナンシー=A=コリンズが創造した架空の町で、ミスカトニック川流域にあるということになっているらしい。コリンズにいわせれば「ダニッチやインスマスよりはマシなところ」だそうだが、それでも怪異は起きるのだった。
 コリンズの"The Thing From Lover's Lane"は、1970年代のミスティバレーを舞台とした短編だ。女子高生のキャロル=アンが恋人のビリーと一緒にドライブをしているところから物語は始まる。二人が森の近くで自動車を停め、逢瀬を楽しんでいると、車の後部を叩く音が聞こえた。友達の悪ふざけだろうと思って腹を立てたビリーはとっちめてやろうと車から飛び出していく。いつまで経ってもビリーが帰ってこないので不安になったキャロル=アンも車を降りるが、すると深い霧の中から何かが彼女の前に現れた。
 強姦されて息も絶え絶えのキャロル=アンを助けたのはグーニーだった。自宅が火事で焼けてしまって以来、鶏小屋で暮らしているという老人である。グーニー爺さんはキャロル=アンを病院に連れて行き、保安官と一緒に森へ引き返す。彼らがそこで発見したのは、気絶して地面に倒れているビリーだった。
 ビリーは強姦の嫌疑をかけられて拘留されるが、意識を取り戻したキャロル=アンが否定したので釈放された。彼はグーニー爺さんのところへ話を聴きに行く。何十年も前、森の中にいるものに自分のお袋も襲われたんだよ――と爺さんは語り、「千一匹目」が生まれるようなことがあってはならないという。翌日、爺さんは頭部を潰された死体となって見つかり、殺人犯として逮捕されたビリーは裁判で死刑を宣告された。
 キャロル=アンは妊娠していた。父親はビリーだと信じている彼女は両親の猛反対を押し切って産むことにする。一方、死刑囚としてアーカムの刑務所に送られたビリーは、そこの蔵書をせっせと読んでいた。さすがはアーカム、刑務所の図書館も稀覯書だらけだ。ミスティバレーの森に棲むものについて学んだビリーは、会いに来てほしいとキャロル=アンに手紙を書く。ビリーが電気椅子に送られる当日、キャロル=アンは刑務所を訪問し、看守の立ち会いもなしにビリーと面会する。
「父親は俺じゃない」とビリーはいう。「君を助けられなくて、本当に済まない。でも、まだ世界を救うことはできるかも」
 人々が独房に駆けこんできたとき、キャロル=アンはもう頭を割られて瀕死の状態だった。ビリーの処刑はただちに執行される。病院に運ばれたキャロル=アンは20時間後に息を引き取ったが、おなかの子は奇跡的に無事だった。キャロル=アンの両親は孫を連れてボストンに引っ越していく。
 「ダニッチの怪」へのオマージュであることは明らかだが、父親はヨグ=ソトースではなくシュブ=ニグラスである。シュブ=ニグラスの男神的な側面を描いた作品ということになるが、「千一匹目」とは「千の仔」に続く新たな落とし子という意味だろう。1970年代の出来事ということは、生まれた子はもう成人しているわけだが、一体どこで何をしていることやら。