新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

恋をかなえる秘呪法

 ロバート=ブロックに"Philtre Tip"という短編がある。初出はRogue の1961年3月号で、邦訳はまだない。Mysteries of the Worm に収録されており、一応クトゥルー神話作品と見なしてよいだろう。
 マーク=ソーンウォルドは人妻のエイドリアンに懸想していたが、彼女はとりつく島もなかった。エイドリアンの夫のチャールズはソーンウォルドが評議員を務める大学の准教授だったが、ソーンウォルドは腹いせに彼の任期を更新しようとせず、チャールズは失職してしまう。その後でソーンウォルドはエイドリアンに取引を持ちかけたが、彼女はソーンウォルドに肘鉄を食わすばかりだった。
 1年近くが経ち、チャールズがソーンウォルドのところに本の原稿を持ちこんできた。ソーンウォルドが編集委員を務める出版社から刊行できないかというのだ。本の題名は『媚薬の歴史』といった。内容は至ってまじめな学術書だったが、原稿の一部に取消線が引いてあることにソーンウォルドは気づいた。そのことを彼が指摘すると、チャールズは説明した。
「これはルートウィヒ=プリンの著作から引用した媚薬の調合法だよ。僕は呪術など信じないが、いにしえの碩学には敬意を払っている。たとえばルートウィヒ=プリンは当代一流の大魔術師だったんだ」
「すると、本当に効き目があるかもしれないと思っているわけだな?」
「うむ。プリンの指示通りに薬を調合すれば、よからぬものができてしまうかもしれない」
 プリンの著作といえば、かの高名な『妖蛆の秘密』である。ソーンウォルドはチャールズの本を出版してやることにし、一方でこっそりと媚薬の材料を集めた。もちろん狙いはエイドリアンだ。「この薬のひとしずくを酒に垂らすだけで、意中の女はたちどころにビッチと化すであろう」とプリンは述べていた。こんなことが『妖蛆の秘密』に書いてあったのかと思うと涙が出そうだが、ブロックその人による設定なのだから仕方がない。なお『妖蛆の秘密』からの引用があるブロックの作品は"Philtre Tip"だけだとロバート=プライスは指摘している。
 媚薬を作り上げたソーンウォルドは、チャールズが編集部との契約のために出かけている隙を見計らい、ワインを持ってエイドリアンを訪問した。本が出版されることになったので、お祝いをしようという口実だ。ソーンウォルドはエイドリアンのグラスに媚薬を入れ、何食わぬ顔で乾杯する。それぞれグラスを傾けた後でエイドリアンはいった。
「あなたの魂胆はわかっていたわ。だからグラスをすり替えておいたのよ」
 ルートウィヒ=プリンの薬は女性だけでなく男性にも効果があったようだ。部屋がぐるぐると回り、ソーンウォルドにできたのはエイドリアンの笑い声を聞くことだけだった。せめて自分の真心を彼女に伝えねば……。
「愛している」と彼は吠えたのだった。
 オチがわかりにくいが、ビッチという言葉が「売女」と「雌犬」の両方を意味することを踏まえた駄洒落だ。つまり惚れ薬だと思われていたものは、人間を犬に変身させてしまう薬だったのだ。いろいろな意味でひどい話だが、ブロックはこの手の駄洒落をことのほか好むようである。

Mysteries of the Worm: Earle Tales of the Cthulhu Mythos (Call of Cthulhu Fiction)

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