ローマ時代のアヴェロワーニュ
C.A.スミスとジェイムズ=ブランチ=キャベルの関係について、森瀬さんが記事を書いている。少し補足させていただこう。
竹岡氏がその場で調べてくれたところによると−−確かにスミスは書簡中で頻繁にキャベルに言及しているとのことです。これらの記述から、おそらく1920年代前半にキャベル作品を愛読し、少なからず傾倒したのは間違いない様子。(後に熱が冷めたとも)
決定的なのは1933年12月4日頃のラヴクラフト宛書簡で「聖人アゼダラク」の話題に関連してキャベルの名前が挙がり(アヴェロワーニュの設定をdisったラヴクラフトへの言い訳めいた返信)、かつまたアヴェロワーニュをポワテムになぞらえているのだそうです。大当たり!
『ジャーゲン』を読んだかもしれないスミス - 墨東ブログ
アヴェロワーニュの設定に対するラヴクラフトの突っこみは1933年11月18日付のスミス宛書簡に見出せる。紀元475年のアヴェロワーニュでフランス語が使われているのはおかしい、当時フランス語という言語はまだ存在しなかったから、人々はラテン語を話していたはずだ――とラヴクラフトはその手紙で述べている。また、クラウディウス帝が43年にドルイドの活動を禁止して以来、ガリアではその勢力が衰退していたということも併せて指摘されている。
ラヴクラフトの指摘に対してスミスは自らの不明を恥じ、「アヴェロワーニュはキャベルのポワテムに勝るとも劣らぬほど神話的な地なので、僕は歴史的な正確さの追求を怠ってしまったのだろうと思います」と反省している。スミスがアヴェロワーニュをポワテムになぞらえたというのは、そのような経緯の話なのだった。なお「聖人アゼダラク」が単行本に収録されることがあったら誤りを訂正したいとスミスは述べているが、アヴェロワーニュの住民がフランス語を喋っていることは現行の版でも確認できるので、結局のところ書き直しはしなかったらしい。
アヴェロワーニュでドルイドの信仰が根強く生き残っていたことについては、そう有り得ないことでもないだろうというのがスミスの見解だった。1933年12月13日付のスミス宛書簡でラヴクラフトはこの話題を続け、スミスの主張に理解を示すと共に、滅亡したヒューペルボリアから移住してきたアヴェロン族が『エイボンの書』をアヴェロワーニュに持ちこんだという設定を提案している。なるほど、アヴェロワーニュにおけるツァトゥグア崇拝の歴史が古いのにも納得がいくというものだ。ローマ時代のアヴェロワーニュを舞台にした小説をスミスは書こうとしていたが、これはお蔵入りになってしまった。*1