ラヴクラフトの文章を日本語に訳していると、関係詞節が延々と続くのでイライラさせられると菊地秀行氏が『クトゥルー怪異録』の対談で語っている。それには同感だが、一文を一文として訳すのを諦めてしまえば割と楽になるだろう。私は安易な道を選んだので、ひとつの文を複数に分割して訳すことがしばしばだが、常にそうしてよいというわけではない。たとえば、次のような場合はどうだろうか。
眠れる神ゾタクァに仕えてどんな利益があるのか尋ねられて、エイボンはこう答えた。「私は眠れる神の方を信じるだろう。この世の苦痛は目覚めている神の意志に違いないからね」
『エイボンの書』37ページ
エイボンの言葉は原文では次のようになっている。
Rather would I believe in a god that sleepeth than that the travails of the world should be the will of a waking providence.
「この世の苦痛は目覚めている神の意志に違いないからね」という訳はいかがなものか。そういう風に考えるのが嫌だからツァトゥグアを信仰することにしたのだとエイボンは語っているのであり、世の中が苦しみに満ちているのは神様のせいであると彼が認めてしまっているかのように訳してしまってはまずいのではないだろうか。かつて私自身もこの作品を訳してみたことがあるが、そのときは「世界の労苦が醒めている神の意志であると思うよりは、眠っている神を信じていたい」とした。
- 作者: C・A・スミス,リン・カーター,ロバート・M・プライス,坂本雅之,中山てい子,立花圭一
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