ロバート=プライスによるThe Nyarlathotep Cycle の序文より。
H.P.ラヴクラフトの創造した神々の中で、ナイアーラトテップはもっとも人間を嘲弄するかのような謎めいた存在である。「未知なるカダスを夢に求めて」でナイアーラトテップは千の貌を持つといわれており、ラヴクラフトの作品の至る所で彼が様々な使われ方をしているのはこのことを証明するものだ。ナイアーラトテップの姿は屈折し、無数の対立し合う断片的な像と化しているかのようだ。立体派の絵画に似ていなくもない。まさしく眼がただ一つの像も見いだせないからこそ、より真実通りにそのものの多面的な実相を見ているという気がしてくるのだ。粉々になった断片であるにもかかわらず、そして断片であるからこそ、ナイアーラトテップという神の様々な姿に通底する単一性が感じ取れる。かくしてナイアーラトテップの全体像はクトゥルー神話の縮図めいたものとなる。神話が意図されたものでないかのように──実在する古代の神話の混乱した残骸のように断片的で矛盾するものに見せかけることがラヴクラフトの「意図」だった。
ナグやイェブという名はチベット風に聞こえるように作ったものだとラヴクラフト本人が書簡で述べているが、実はエジプト神話のヌトとゲブに由来するという説をウィル=マレーが唱えているそうだ。マレーの説を受けて、プライスは次のように述べている。
ナイアーラトテップの例はナグとイェブの対極にある。「邪悪な双子」はチベットの神秘を想起させることを目的としたものだと述べることでラヴクラフトは彼らのエジプト由来の出自を隠蔽したが、ナイアーラトテップの場合はエジプト神話の見せかけの裏にヒンドゥー教そして仏教の概念が隠されているからである。一言でいえば、ナイアーラトテップは大自在天すなわちシヴァなのである。
プライス博士がこの手の話をするときは眉に唾をつけつつ読まなければならないと思っているのだが、ナイアーラトテップが大自在天だという説は個人的には割と納得できるものだ。ところで、仏教では降三世明王が大自在天を踏みつけているが、あれは旧神ということになるのだろうか。
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