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主にクトゥルー神話のことなど。

妖蛆の館

 The House of the Worm はゲイリー=メイヤースのクトゥルー神話作品集である。1975年にアーカムハウスから刊行され、幻夢境を舞台にした11の短編が収録されている。ダーレスの没後に刊行された本だが、メイヤースの小説を本にして出版することを決定したのはダーレスその人であるという。
 メイヤースの小説は大したことがないが、序文はいささか興味深い。旧神など人類の願望の産物に過ぎないとメイヤースは言い切り、真っ向からダーレスに反旗を翻しているのだ。その序文を以下に訳出してみよう。

 本書の第1章はH.P.ラヴクラフトが創始し、彼の友人にして出版者たる故オーガスト=ダーレスが詳説したクトゥルー神話大系への大した貢献ではないが、興味深い異端を提示するものである。
 ダーレスによると、クトゥルー神話の中心となる原則は、邪悪な旧支配者が慈悲深い旧神に戦いを挑んだというものである。旧支配者は旧神の罰を受けて外世界の闇に追放され、そこで復活の時機をうかがっているという。神話作品の大多数は、帰還しようとしている旧支配者が現代に発現したという物語である。復活のテーマはラヴクラフトの文学において重要なものだし、他の作家の手も加わっているとはいえ旧支配者は彼が創造したものである。だが旧神はノーデンスを例外として、完全にダーレスが創造したものだ。
 正典と呼べるのはラヴクラフトの作品のみである。少なくとも「霧の高みの不思議な館」にはノーデンスと共に「旧きものども」が出てくるが、旧きものどもは不生不滅の蕃神よりも若い。「神々や旧きものどもが生まれる前から」蕃神はハセグ=クラの嶺に来ては踊っていたのだ。そして「未知なるカダスを夢に求めて」では、人間に似た自分たちの姿をングラネクの岩壁に彫りつけたというカダスの大いなるものどもをクラネスが旧きものどもと同一視している。ナイアーラトテップと蕃神を崇めて生贄を捧げたかどでガグを「地下の洞窟」に放逐したのは大いなるものどもであった。だがナシュトとカマン=ターの見解においてすら蕃神が窮極の神々であることは、ラヴクラフトが明白に述べているとおりである。ことによると、大いなるものどもがカダスから逃げ出そうとしたのには他にも理由があり、ナイアーラトテップが彼らをそこに捕えているということなのかもしれない。蕃神の庇護下にあるというのは、無慈悲な拘束に他ならない。
 これはダーレスからは程遠いが、本来のクトゥルー神話からもかけ離れている。幻夢境と現世をつなぐ門は無数にあるが、定かならざるものである。そこにおける展開は、70段の縞瑪瑙の階のこちら側で神話の様式を変化させるものではない。
 本書における旧支配者は蕃神と彼らの眷属であるが、旧神はカダスの大いなるものどもを楽観的に過大評価してみたものに過ぎない。宇宙の秩序と神々の人類への義務に関して、人間は偏った意見を抱きがちである。神々は心を持たず、意見を持たない。さもなければ、自分たちを呼び出して注意を惹きつけたものが誰であろうと一呑みにするだけで義務など易々と回避できるということを彼らは発見したのだ。ヴォルナイの旅籠の人々は伝統的なダーレス派なのだが、妖蛆の方は名うての懐疑論者である。

 ダーレスに見出された作家たちの中で、もっともラヴクラフトに忠実であろうとしたのがメイヤースだったといえるかもしれない。だがメイヤースはその後ほとんど作品を発表せず、ダーレス亡き後のクトゥルー神話大系を発展させていったのはリン=カーターやブライアン=ラムレイの方だった。

House of the Worm

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