新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

エリカ=ツァンの沈黙

 ジェイムズ=ウェイドのクトゥルー神話小説で邦訳されているのは「深きものども」*1だけだが、彼は他にもいくつか神話作品を書いており、その中でも特に優れていると私が思うのは「エリカ=ツァンの沈黙」(The Silence of Erika Zann)だ。サンフランシスコのクラブを舞台に、エリカ=ツァンというロックバンドのボーカリストの身に降りかかった奇怪な事件を描いた短編で、Disciples of Cthulhuに収録されている。名前を見てピンと来た方もおられるだろうが、エリカ=ツァンはエーリヒ=ツァンの孫娘という設定である。

 私は今でもアッシュフォード=ストリートに散策の足を運び、かつてパープル=ブロブがあった空地を眺めることがある。全盛期のパープル=ブロブサイケデリックなライトショーを売り物にしたクラブの中でも最古かつ最良の店のひとつであり、一度などタイム誌の記事になったこともある。だがロックの栄枯盛衰は目まぐるしいものであり、サンフランシスコのスカイラインはさらにすばやく移ろっていく。最後に私がそこに行ったとき、新しいビルの土台が空地に築かれていたので驚いたものだ。そこで作業をしているパワーショベルは私の人生の一部を永遠に埋めてしまおうとしているのだという気がした──まだ生きており、言葉にならない叫びを地底で上げている部分を。

 これが「エリカ=ツァンの沈黙」の出だしだ。ウェイドは最先端の科学・技術や世相とクトゥルー神話を結びつけようとしたが、そのため彼の作品は時代の制約を強く受けることになり、いま読むと古くさく感じられてしまうのだとロバート=プライスは指摘している。しかし「エリカ=ツァンの沈黙」に関する限り、それがむしろ良い方向に作用し、独特のノスタルジックな雰囲気を作品に帯びさせているように思われる。