我が名は暗黒
「我が名は暗黒」(Darkness, My Name Is)はエディ=C=バーティンのクトゥルー神話短編である。エドワード=P=バーグランドが編纂したアンソロジーThe Disciples of Cthulhu を初出とし、旧支配者シアエガを誕生させたことで知られるが、発表されてから30年以上が経過した今日でも邦訳は出ていない。ただクトゥルー神話TRPGを通じてシアエガの名前のみが我が国に伝わっているというのが現状だろう。そこで本稿では「我が名は暗黒」の粗筋をごく簡潔に紹介させていただく。なお物語の核心や結末にも触れているので、拙文をお読みくださる方々にはその点をあらかじめ御諒承いただきたい。
謎の語り手が若い娘を街角で呼び止めるところから「我が名は暗黒」は始まる。謎の語り手が娘に聞かせるのはフライハウスガルテンというドイツの寒村の話であり、その村を訪れたハーバート=ラモンという男の話である。
シアエガはフライハウスガルテンで眠っている。シアエガの姿は「巨大な緑の単眼で、無数の長い触手に取り巻かれている」と描写されることが多いが、これはあくまでも仮の姿に過ぎず、シアエガは常に姿形を変えている。
バーティンによるとシアエガはニョグタの兄弟であり、ニョグタと同様にヴァク=ヴィラ呪文を苦手とする。ただしヴァク=ヴィラ呪文を逆に唱えれば、シアエガを解き放つ効果がある。シアエガが封印されている「闇の丘」(ドゥンケルヒューゲル)には、ヴァイエンと呼ばれる石像が五つ存在するが、それらの石像が安置されている地点を線で結ぶと五芒星になる。五芒星を構成することにより、石像は旧神の印として機能しているのである。余談だが、『屍食教典儀』の著者として知られるダレット伯爵の名がフランソワ=オノール=バルフォアだという説も「我が名は暗黒」が初出らしい。
フライハウスガルテンにやってきたハーバート=ラモンは、ジュリアン=シャルルというフランス人の経営するホテルに泊まり、村人たちの敵意にさらされながらシアエガのことを調べて回っていた。ある日ホテルに戻ってきたラモンを待っていたのは、首を切断されたジュリアンの死体だった。ホテルから逃げ出したラモンは丘に行って身を隠す。
やがて夜になると村人たちが丘に集まり、シアエガを讃える儀式を始めた。ある農夫の娘が裸になって「生ける祭壇」の役を務め、肉屋が祭司として詠唱する。一方、五つの石像のうち一つをあらかじめ手に入れていたラモンは、それを前に自分自身の儀式を執り行った。村人たちの儀式はシアエガを眠らせ続けておくためのものであり、シアエガを甦らせようとしていたのはラモンの方だったのだということが明らかになる。シアエガは世界中に分身がおり、ラモンもその一人だったのである。
旧神の印が崩れたことによって復活したシアエガは村人たちを片端から惨殺し、自らの分身であるラモンと一体化した。シアエガは際限なく膨張していくが、クトゥグアの存在を感じて縮み上がり、アザトースの玉座の前でのたうち回りながらウボ=サスラやヨグ=ソトースに助けを乞う。
それから何があったのかは判然としない。シアエガの復活はなかったことにされてしまい、それは「均衡が回復された」という言葉で表現されているが、その意味するところは定かでない。もっとも単純に考えるならば、旧神が介入して歴史を修正したということなのだろう。
ここで物語はエピローグに入り、冒頭の街角の光景が再び現れる。謎の語り手は若い娘に現在のフライハウスガルテン村の様子を教える。
「ホテルを経営しているのはジュリアン=シャルルというフランス人だが、フライハウスガルテンで長く暮らしているので村人からはヨハンと呼ばれている。気味の悪い傷跡が彼の首をぐるりと取り巻いているが、その傷は何が原因なのかと訊ねると、彼は妙に虚ろな目つきになる。まるで、忘れるはずがないのに思い出せないことを思い出そうとしているかのようだ。誰かが俺の喉を切り裂こうとしてしくじったんだと彼は冗談を言い、みんな大笑いして傷跡のことなど忘れてしまう」
「村人たちに訊ねれば、ある夏の日の午後にやってきた旅行者の話をしてくれるはずだ。彼が電車から降りたとき、村人たちの誰もが奇妙な感覚を一瞬だけ覚えたという。まるで時間が静止したかのような感覚だったが、村人たちはそれを暑気のせいにして片づけた。旅行者がまったく身動きせずに駅のホームに30分も立ちつくしていたので赤帽が声をかけようとしたが、旅行者の顔を見た赤帽は絶叫しはじめた。自分が何を見たのか赤帽は誰にも話そうとせず、病院に運び込まれた旅行者はその日のうちに死んで埋葬された。旅行者の名はハーバート=ラモンといった」
「もしかしたら村の肉屋に会えるかもしれない。彼は今や村人たちの施しで暮らしている身なのだが、いつも手袋をしており、絶対に素手を見せようとしない。それから、ある農夫の娘がいる。かつては村でも指折りの美人だったのだが、今は誰にも素顔を見せようとせず、完全に気が狂っている。歴史が修正されても、消えずに残る記憶というものがあるのだ……」
「シアエガの落とし子は世界中にいる。ハーバート=ラモンは愚か者ではなかったが、知識が不充分だった。自分が何であるかを彼が知ったときには、もう遅すぎたのだ。だが、あなたは知っている、そして私も知っている。ラモンは独りぼっちだったが、私たちは違う。ハーバート=ラモンの失敗は繰り返すまい」
かくして謎の語り手と聞き手の娘の素性が明らかになる。二人ともシアエガの落とし子だったのだ。とある街角でシアエガの落とし子が巡り会い、片方がもう片方に知識を伝えているわけである。語り手は次のように物語を締めくくる。
「そうだ、ドゥンケルヒューゲルがどこにあるのか私は知っている」
The Disciples of Cthulhu (Call of Cthulhu Novel)
- 作者: Edward P. Berglund
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