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主にクトゥルー神話のことなど。

ナイフの国

 ロバート=E=ハワードに"Country of the Knife"という短編がある。これまたエル=ボラクが主役だが、コンプリート=ストーリーズの1936年8月号が初出なので、ハワードの死の直後に発表された作品ということになる。現在は公有に帰しているらしく、原文がウィキソースやプロジェクト=グーテンベルク=オーストラリアで無料公開されている。
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アフガニスタンに行ってエル=ボラクを見つけ、彼に伝えてくれ。黒虎団に新しい首領が誕生したと。やつはアブド=エル=カフィドと名乗っているが、本当の名はウラディーミル=ジャクロビッチだ」
 暗殺者に刺されたストックトンは友人のスチュアート=ブレントにそう言い残して息絶えた。プロの賭博師としてサンフランシスコで優雅な生活を満喫していたブレントだが、ストックトンの無念を晴らすべくカブールに赴く。ストックトンは英国情報部の大物だったらしく、彼から教えてもらった合言葉をブレントが使うと現地の政府関係者が積極的に協力してくれた。
 どこにいるとも知れぬエル=ボラクを探すために出発したブレントだったが、山中で盗賊の集団に襲われてしまう。護衛の兵士は全滅し、捕えられたブレントはルブ=エル=ハラミに連れて行かれることになった。ルブ=エル=ハラミは外部からの略奪で経済が成り立っているという盗賊の都で、その首長こそはアブド=エル=カフィドという変名を使っているジャクロビッチに他ならなかった。
 シールクーフと名乗る男が途中で盗賊どもの仲間に加わった。ブレントがルブ=エル=ハラミで奴隷として競売にかけられると聞いたシールクーフは、俺が買いたいと言い出す。「痩せた奴隷など価値がないからな」といいながら、シールクーフはブレントに食事や外套をくれた。その温情ある姿を見たブレントは思い切って自分の目的を打ち明け、脱走するのをシールクーフが手伝ってくれたら大金をあげると約束する。
 ルブ=エル=ハラミに着いたブレントの前にジャクロビッチが現れ、盗賊の都の首長に身をやつしている理由を教える。毎年「シャイターンの洞窟」に100斤の黄金を捧げるという慣わしがルブ=エル=ハラミにはあった。洞窟の在処は首長と長老たちしか知らないが、大魔王シャイターンに貢物をする慣わしは1000年の長きにわたって続き、いまや莫大な量の黄金がうずたかく積まれているという。その黄金を盗み出して軍資金とし、アジアに覇を唱えるというのがジャクロビッチの野望だった。
「貴様を生かしておいた理由がわかるか?」とジャクロビッチはいった。「ストックトンが貴様に教えた情報部の合言葉を聞き出すためだ。情報部の内側に浸透することができれば、俺の諜報網はますます強大なものになるからな」
「ならば、俺はおまえの素性をばらすぞ! ロシア人だと皆に知られてもいいのか!」
「そんなのは周知のことよ。俺はとうにムスリムに改宗しているからな、痛くも痒くもないわ」
 ムスリムムスリムたらしめるものは出自ではなく信仰であり、それは盗賊の都においても変わらないようだ。貴様を奴隷として買い取ってから合言葉をゆっくり吐かせてやると言い捨てると、ジャクロビッチは立ち去った。
 一方、シールクーフは都の実力者アラフダル=ハーンに会っていた。アラフダル=ハーンは気っぷの良さで住民に慕われており、その人気はジャクロビッチをもしのぐほどだ。ジャクロビッチを放逐し、あなたが主張になるべきだとシールクーフはアラフダル=ハーンに勧めた。
 翌日、競売が行われることになった。ブレントはジャクロビッチが捨て値で買い取るはずだったが、アラフダル=ハーンから資金の援助を受けたシールクーフが競りに参加したため、値段がうなぎ登りにつり上がっていく。頭に来たジャクロビッチは競売を一方的に中止させ、ブレントを自分の館に連れて帰ろうとした。
「それは掟に反するぞ!」ここぞとばかりにシールクーフは告発する。「首長といえども、掟は守るべきだ! こんな輩よりも、アラフダル=ハーンこそが首長にふさわしい!」
 煽動された住民たちも声を合わせ、とうとうジャクロビッチとアラフダル=ハーンは首長の座を賭けて一騎打ちを行うことになった。決闘に勝ったのはアラフダル=ハーンだったが、ジャクロビッチの片腕であるアリ=シャーの手下の一人がシールクーフの正体を暴く。彼こそはエル=ボラクことフランシス=ゼイヴィア=ゴードンに他ならなかった。
 アラフダル=ハーンとブレントは捕えられ、牢に入れられてしまう。ジャクロビッチの死亡とアラフダル=ハーンの失脚を受けてアリ=シャーは自ら首長を称し、長老たちも追認した。ゴードンは一人だけ逃げ延び、アラフダル=ハーンと3人の家来そしてブレントを救出する。かくして過酷な逃避行が始まった。
「アラフダル=ハーンを首長にしようとしたのは本気だった」とゴードンはブレントに説明した。「ジャクロビッチさえいなくなってしまえば、ルブ=エル=ハラミは危険な存在ではなくなる。真っ当なムスリムはシャイターンの黄金になど触れようとはしないからな」
「少なくともジャクロビッチは死んだな」と指摘するブレント。
「そういう意味では目的を達成できたことになる。アリ=シャーは世界にとって脅威ではない。いまとなっては、危険にさらされているのは俺たちの命だけだ。まあ簡単に死んでやる気はないがね」
 ゴードンは一縷の望みを託して狼煙を上げたが、彼の朋友たちはやってこなかった。首長直属のエリート部隊である黒虎団がゴードンたちに追いつく。多勢に無勢、しかも疲労困憊している彼らは死を覚悟した。
「アラフダル、済まない」とゴードンは己の非力を詫びた。「済まない、みんな」
「それは違うぞ、エル=ボラク!」獅子がたてがみを振るうかの如く、アラフダル=ハーンは昂然と頭をもたげた。「俺は夢見るばかりで挑戦することのできぬ惰弱な臆病者だった。だが、おまえのおかげで栄光の一瞬を手にできた。それだけで一生分の値打ちがあるのだ」
 この場面はかなり泣かせる。戦闘が始まり、アラフダル=ハーンはアリ=シャーと相打ちになって斃れた。アラフダル=ハーンの家来たちもことごとく命を落とし、生き残っているのはゴードンとブレントだけだ。その時、蹄の音が聞こえてきた。ヤル=アリ=ハーンに率いられた部隊が駆けつけてきたのだ。
「おお、俺の狼煙を見てくれたか! 一斉射撃だ!」
 銃弾の雨を浴びて黒虎団は退却する。アフリディ族の戦士たちがブレントを馬に乗せてくれた。駆けていく馬の背で風を感じ、ゴードンの笑う声を聞きながら、ブレントは眠りに落ちたのだった。

神々の血

 トップノッチ誌の1935年6月号にロバート=E=ハワードの"Hawk of the Hills"が掲載されたと昨日の記事で申し上げたが、その翌月には同じシリーズの"Blood of The Gods"が載り、2号連続で同誌の表紙を飾ることになった。この作品も現在はウィキソースで公開されている。
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 エル=ボラクことフランシス=ゼイヴィア=ゴードンにはアル=ワジルという親友がいた。元々はロシアの貴族だったのだが、オマーンで巨万の富を築いて国王から知事に任命されたという人物だ。しかし1年前、唐突に官職を辞した彼は神秘学を究めるべく砂漠に隠遁してしまった。
 アル=ワジルはほとんどの財産を貧民に分け与え、自分の手許に残したのは「神々の血」と呼ばれる大粒のルビーだけだった。英国人のホークストンは「神々の血」を奪おうと企て、アル=ワジルの従者だったディルダールを買収して居場所を聞き出そうとする。サリムという別の従僕がディルダールの口を塞ぐために狙撃したが、わずかに間に合わなかった。
 アル=ワジルはエル=クールの洞窟にいるとディルダールは死に際に言い残し、ホークストンはさっそく仲間たちと一緒に出発した。ホークストンの反撃で重傷を負ったサリムは1マイル以上もの距離を這ってゴードンのもとに辿りつき、アル=ワジルの身に危機が迫っていることを告げて息絶えた。ゴードンは単身エル=クールに向かう。
 ゴードンが砂漠を通り抜ける途中でルウェイラ族が襲撃してきた。どうにか敵を全滅させたものの、乗っていた駱駝を撃たれて失ったゴードンは残りの道のりを徒歩で踏破しなければならなかったが、大幅に遅れを来したにもかかわらず洞窟に着いたのはホークストンより先だった。
 洞窟にはホークストンばかりかアル=ワジルの姿も見当たらず、ゴードンが訝しく思いつつ捜し回っても成果はなかった。その晩、休息していたゴードンは何者かに襲われる。曲者を退けた彼が翌朝その正体を突き止めると、そこにあったのは変わり果てたアル=ワジルの姿だった。洞窟での孤独な暮らしに耐えかねたのか、アル=ワジルは発狂していたのだ。やむなくゴードンは彼を縛り上げた。
 その時ホークストンが到着する。彼も途中でルウェイラ族の襲撃を受け、仲間をことごとく失っていた。シャラン=イブン=マンスールに率いられたルウェイラ族が間もなく追いついてくるとホークストンはゴードンに知らせ、彼らは一時的に手を組むことになった。
 ルウェイラ族が洞窟を包囲し、ゴードンとホークストンは二人きりで迎え撃つ。ホークストンも卓越した射撃手だったが、弾薬は今にも底をつきそうだった。「頭目のシャランさえ死ねば、他の連中は引き揚げるだろうが……」とゴードンは独りごちる。
 いつの間にかアル=ワジルは縄を断ち切り、姿をくらましていた。ゴードンがルウェイラ族と戦いながらアル=ワジルを捜し回っていると、絶叫が聞こえてきた。駆けつけたゴードンが見たものは、哄笑するアル=ワジルの足許で骸と化したシャランの姿だった。悪魔が現れたとルウェイラ族は恐れおののき、一目散に逃げ出す。エル=クールの洞窟にはゴードンとホークストンとアル=ワジルの3人だけが取り残された。
 一時の共闘は終わり、ホークストンはアル=ワジルを連れ去ろうとした。精神科医に診せて正気に戻してから、ゆっくりルビーの在処を吐かせる気なのだ。ゴードンは友を守るために戦うが、ホークストンが発砲するとアル=ワジルは頭から血を流して倒れた。ゴードンは剣を振るい、ホークストンは頭を顎まで切り裂かれて絶命した。
「イワン!」ゴードンはアル=ワジルの本名を呼んだ。「大丈夫か!」
 幸いなことに銃弾は頭をかすめただけで、その衝撃でアル=ワジルは正気に戻っていた。ゴードンは傷の手当てをしてやり、アル=ワジルは事の次第を語る。彼が発狂したのは孤独のせいではなく、落石が頭に当たったからだった。錯乱している間のことをアル=ワジルは断片的にしか思い出せなかったが、最後の出来事だけは朧気ながら覚えていた。
「ひどく騒々しくなったので、私は怖かった。そっとしておいてほしかった」とアル=ワジルはいった。「それから人間の名前が聞こえ、そいつさえいなくなれば静かになると教えられたような気がした。後のことはよくわからない」
 シャランさえ死ねばルウェイラ族は引き揚げるとゴードンが何気なく漏らしたのをアル=ワジルは聞いており、その言葉の通りに行動したのだ。アル=ワジルがシャランを殺したのは偶然ではなく、ゴードンの意図せぬ暗示の結果だった。
 こうしてゴードンは朋友を守り抜いた。アル=ワジルは洞窟を出て文明社会に戻り、人々のために働くことにする。瞑想にばかり耽っていたのでは人類を救えないという結論に達したからだ。
「彼のお墓を作ってやろう」ホークストンの亡骸を見て、アル=ワジルはいった。「かわいそうに『神々の血』の最後の生贄になるのが彼の運命だったのだね」
「どういうことだ?」とゴードンは訊ねた。
「世の中に現れてからというもの、あの宝石は災いばかりもたらしてきた。だから、ここに来る前に私が海に棄ててやったんだよ」
 ホークストンが血眼になって追い求めた「神々の血」は実はとっくに失われていたのだというオチ。なおハワードの作品がトップノッチに掲載されるのは、これが最後となった。

丘陵の鷹

 昨日に続いてエル=ボラクの話をする。ロバート=E=ハワードの"Hawk of the Hills"はトップノッチ誌の1935年6月号に掲載され、その号の表紙を飾った。現在は原文がウィキソースで無料公開されている。
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 エル=ボラクことフランシス=ゼイヴィア=ゴードンがアフガニスタンの峻険な岩山をよじ登っていくところから物語は始まる。オラクザイ族の長アフダル=ハーンが宴の最中にアフリディ族の長たちを騙し討ちで殺害し、彼らの朋友として同席していたゴードンのみが血路を切り開いて逃げ延びたのだ。
 ゴードンが復讐を誓って姿を消した後、アフリディ族とオラクザイ族の抗争は激化する一方だった。鎮静してほしいとアフガニスタンの国王から要請を受けた英国政府は外交官ジョフリー=ウィロビーを派遣する。ウィロビーは策謀に長け、大英帝国の植民地政策を推進してきたエリート。情報部に所属するスレイマンと、アフダル=ハーンの叔父に当たるバベル=アリが彼に同行していた。
 「悪魔の光塔」と呼ばれる場所でウィロビーとゴードンの会見が行われるが、オラクザイ族と和睦すべきだという提案をゴードンはにべもなく却下した。。井戸のある土地をアフリディ族から奪い、交易ルートを独占しようと目論んだオラクザイ族の側から始めた争いだとゴードンは説明し、アフダル=ハーンの首を獲るまで戦いは終わらないと言い放つ。
「君も先祖は英国人だろうが……」ウィロビーは情に訴えようとする。
「あいにく俺の先祖はスコットランド人とアイルランド人でな」というのがゴードンの返事だった。
 交渉が決裂したことを知ったバベル=アリは立腹し、ウィロビーとスレイマンを置き去りにして立ち去った。バベル=アリの庇護を失った彼らにオラクザイ族が襲いかかり、スレイマンは殺されてしまう。ウィロビーは必死に逃れたが、何者かに殴り倒されて気絶した。
 ウィロビーが意識を取り戻すと、彼は洞窟の中にいた。洞窟はオラクザイ族に包囲されており、ゴードンが6人の仲間と共に応戦している。洞窟の外にはバベル=アリもいた。彼は一時の癇癪を後悔し、自分を助けに来てくれたのだろうとウィロビーは考えるが、ゴードンは否定する。
「やつは情報部員のスレイマンを殺してしまったからな。毒を喰らわば皿までと思って、あんたの口を塞ぎにかかってるんだろう。いまから証拠を見せてやる」といって、ゴードンは洞窟の外に向かって呼ばわった。「おい、バベル=アリ! この英国人を引き渡せば、俺たちを見逃してくれるか!」
「もちろんだ!」と返事があった。
「だが、こいつにカブールへ行かれては困るのだ。俺に不利なことを報告するに決まってるからな!」
「ならば彼の首を斬り、こっちへ放って寄越せ! どうせ俺が殺すつもりだから、同じことだ!」
 ゴードンのいうとおりだった。バベル=アリはウィロビーを殺害し、その罪をゴードンになすりつけようとしていたのだ。「申し訳ない」とウィロビーはゴードンに謝った。
 オラクザイ族の知らない出口が洞窟の奥にあるとゴードンはいった。そこを通って洞窟から抜け出し、崖の下に降りようというのだ。ウィロビーはゴードンの力と知恵に感服しながらも、外交的な手段で紛争を解決してみせると決意する。
 月が沈むのを待ってから、ゴードンたちは脱出を決行する。彼らはロープを伝って次々と崖を降りるが、ロープを握っていたムハンマドが撃たれ、しんがりを務めていたゴードンが崖の上に取り残されてしまう。「俺にかまわずアクバル城に向かえ!」とゴードンは指示した。
「見捨てるなどできぬ!」朋友のコーダ=ハーンが叫ぶ。「いま加勢に行くから……」
「バカ者、さっさと行かんかあ!」
 コーダ=ハーンと仲間たちは歯を食いしばり、男泣きに泣きながらウィロビーを引きずって走った。熱い場面だ。
 意外なことに、ゴードンは敵に取り囲まれているわけではなく、襲ってきた連中はごく少人数に過ぎなかった。そいつらを倒したゴードンが洞窟の中に戻ると、洞窟の入口をめがけた銃撃が相変わらず続いている。襲撃はバベル=アリの指示によるものではなく、独自行動をとっていた数名がたまたまゴードンたちに出くわしただけだったのだ。ゴードンの判断ミスなのだが、このくだりではむしろ彼の仲間思いの心が印象に残る。
 切り立った崖を降りようにもロープがないが、裏口を使えない以上は正面から出ていくまでだ。ゴードンは銃身に火薬を詰めて洞窟の外に放り投げた。銃は轟音と共に爆発し、バベル=アリと手下たちが気をとられている隙にゴードンは洞窟から脱出する。馬を奪うことに成功した彼はアクバル城に向かった。
 一方、ウィロビーたちは無事アクバル城に到着していた。城で守備の指揮を執っていたヤル=アリ=ハーンはコーダ=ハーンから状況を知らされて激昂し、ゴードンを救出しに行こうとする。しかし彼らが出発する直前、馬にまたがったゴードンが帰還し、アフリディの戦士たちは歓呼してエル=ボラクを出迎えた。
「何とかカブールまで辿りつきたいんだが」ウィロビーは自分の望みをゴードンに語った。
「俺もあんたにそうしてほしい」とゴードンはいった。「あんたがここで命を落とせば、下手人に仕立てられるのは俺だからな。自分がしたことで悪評を立てられるならいざ知らず、濡衣を着せられるのは真っ平だ」
 アフダル=ハーンに手紙を書き、バベル=アリの狼藉を知らせることをウィロビーは思いつく。アフダル=ハーンはウィロビーの筆跡を知っているし、彼が直々にやってくればバベル=アリとて勝手な真似はできないだろう。
 アフダル=ハーンは非常に用心深い人物なので、アクバル城から狙撃できるところまで近づこうとはしないだろうが、ウィロビーには妙案があった。アクバル城には見張りのために高性能の望遠鏡が備えてあるのだ。ゴードンによるとドイツからの輸入品だそうだが、やはり光学機器はドイツ製に限るということだろうか。ともあれ望遠鏡を使えば、射程圏外からアフダル=ハーンの姿を確認できる。
 ウィロビーの書いた手紙をアフダル=ハーンのもとへ届けに行くことをゴードンは自ら引き受け、宵闇に紛れてアクバル城を抜け出す。バベル=アリはアクバル城を包囲するが、城には備蓄がたっぷりとある上、天然の要害に守られていた。バベル=アリは何度も手下を突撃させますが、いたずらに死体の山が築かれるばかりだった。
 アクバル城は元々はアフダル=ハーンのものだった。こんな難攻不落の砦をゴードンはどうやって奪取したのかとウィロビーに訊かれて、コーダ=ハーンがする。ヤル=アリ=ハーンら40名のものが囮となり、アフダル=ハーンらを城からおびき出した。その隙にゴードンは金持ちの商人に変装して城に入りこみ、わずか3人だけ居残っていた敵を独りで片づけて城を乗っ取ったのだ。余談だが、史記の淮陰侯列伝によると韓信も同様の作戦を使ったそうだ。すなわち背水の陣という言葉の由来となった故事だが、ハワードが史記を読んだことがあるのか私は知らない。ゴードンにいわせると、彼はジェロニモに私淑しているそうだ。
 一眠りしたウィロビーが眼を覚ますと、ゴードンが戻ってきていた。背中を向け、眠っているようだ。彼は疲れているのだとコーダ=ハーンがいう。近づいてくるアフダル=ハーンの姿が望遠鏡に映ったので、ウィロビーはゴードンの目覚めを待たずに城を出ることにした。ウィロビーはアフダル=ハーンと二人きりで落ち合うが、彼の話を聞いたアフダル=ハーンは抜刀して言い放った。
「では貴様の命をいただくとしよう。俺がバベル=アリを見捨てるとでも思ったか?」
 ウィロビーを殺し、その罪をゴードンになすりつけようと考えている点ではバベル=アリもアフダル=ハーンも同じだった。冥土の土産に教えてやろうといって、アフダル=ハーンはウィロビーに自分の野望を明かす。交易の拠点を押さえることによって勢力を拡大し、アフガニスタンの王になるのが彼の目的だった。そして、アフダル=ハーンの背後で糸を引いていたのはロシア帝国に他ならなかった。死を覚悟したウィロビーは一矢報いるために突進しようとするが、そのとき声がした。
「待ちな!」
 そういって現れたのはゴードンだった。彼はアフダル=ハーンの意図を見抜き、先回りしていたのだ。お約束ではあるが、ハワードの文章で描写されると非常に格好いい。
「あんたは城の中で寝ていたのではなかったか?」と驚くウィロビー。
「あれは俺の服を着た仲間さ」
 大勢の人間を手駒として操ってきたエリート外交官のウィロビーですが、今度ばかりは他人の絵図通りに動かされてしまったわけだ。ゴードンはアフダル=ハーンを撃ち殺すこともできたのだが、敢えて刀での勝負を申しこみ、死闘の末に彼を討ち取る。バベル=アリは攻城を諦めて引き揚げ、ゴードンの復讐は果たされた。あんたのやり方は好きになれないが、実にあっぱれな男だとウィロビーはゴードンを讃えるのだった。
 超常的なものが絡まない純粋な冒険小説だ。アフダル=ハーンは狡猾で冷酷な悪役ながら堂々としており、主役のゴードンとほぼ互角に渡り合えるほどの実力がある。またゴードンに翻弄される役割のウィロビーも本来は優秀で勇敢な人物だ。悪役や脇役の人物造形もおろそかにしないことによって物語の厚みや痛快さが増すわけで、ハワードらしい作品といえるだろう。

好漢エル=ボラク

 ロバート=E=ハワードが1935年5月頃に書いたラヴクラフト宛の手紙から。

「永劫より」はとてもおもしろかったです。ラヴクラフトさんのお名前も作者として出したほうがよかったですね。だって徹頭徹尾あなたの作品なのですから。今年の夏にはいくらか小説を書いてくださいますように。ウィアードテイルズでラヴクラフトさんの作品を読めなくなって、あまりにも久しいです。最近、僕は冒険小説で新規に市場を開拓しようとしているところです。トップノッチ誌は長めの小説を四つ受理してくれましたし、最新号の表紙絵に拙作を使ってくれましたから、常連作家になってやろうと思います。怪奇小説はとにかく需要が乏しく、原稿料の支払いも遅れがちなので、僕はその手の話を書くのをきっぱりと止めて別のものを手がけざるを得ないかもしれません。怪奇幻想をすっかり諦めてしまいたくはないのですが。

 この書簡によると当時ハワード家には12匹もの猫がいたらしいのだが、その話は長くなるので割愛する。ともあれトップノッチの1934年12月号に掲載されたハワードの作品"The Daughter of Erlik Khan"を紹介したい。邦訳はないが、現在では公有に帰しているためウィキソースで原文が公開されている。
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 主人公はフランシス=ゼイヴィア=ゴードンというテキサス出身の米国人。故郷を遠く離れたアフガニスタンで暮らし、現地人からはエル=ボラクと呼ばれている。
 場所はアフガニスタンの奥地、ゴードンは二人の英国人のために道案内を務めているところだ。彼らはペンブロークそしてオーモンドという名前で、友人のレイノルズが行方不明になってしまったので探しに行こうとしていた。
 行く手に見える山がエルリク=ハーン山だとゴードンは二人に説明した。エルリク=ハーンというのはキルギス族が崇める魔神だというが、この作品におけるキルギス族は実在のキルギスから名前だけ借りた別物と考えたほうがよさそうだ。なお、ハワードには"Lord of the Dead"という短編があり、そこに登場する犯罪王もエルリク=ハーンと名乗っていた。*1
 ゴードンはレイヨウを狩りに出かけ、ペンブロークとオーモンドはテントの中で密談を始めた。ここまで来たらゴードンの助けは不要だから、彼をお払い箱にするということで合意する二人。レイノルズという友人は存在せず、ペンブロークとオーモンドがゴードンの協力を得るためにでっち上げた口実だった。彼らがアフガニスタンまでやってきたのには別の目的があったのだ。
 ゴードンの従者のアフメッドがテントの外で聞き耳を立てていることに気づいたオーモンドは、口封じのために彼を射殺してしまう。オーモンドとペンブロークはただちにテントを引き払い、ゴードンを置き去りにしていくことにした。やつは食糧も毛布も持っていないから、いずれ野垂れ死にするだろうとオーモンドはうそぶく。
 一方、狩りに出かけたゴードンは途中でならず者に襲われていたが、返り討ちにして逆に馬を奪う。ゴードンが馬に乗って帰るとキャンプは跡形もなくなっており、瀕死のアフメッドが横たわっているばかりだった。二人の英国人はキルギス族の都ヨルガンに向かったと言い残して、アフメッドは息を引き取った。
 ゴードンは怒りに燃えて二人組の後を追った。運よく手に入れた馬があるので、無理をしなければ生きて帰れるはずなのだが、ゴードンの心にあるのは復讐のことだけだった。アフメッドは長い間ゴードンと苦楽を共にし、彼にとっては従僕というより朋友だったからだ。
 100人ほどの流れ者の集団に遭遇したゴードンは、その頭目に一騎打ちで勝って乗っ取りに成功した。夢にも見たことがないような財宝のところへ連れて行ってやろうとゴードンは流れ者たちに約束し、真に受けた彼らは付き従う。空手形の落とし前をどうやってつけるのか、ゴードンはまるで意に介していなかった。
 道中でキルギス族に遭遇した流れ者たちは、彼らが財宝を持っているものと早合点し、ゴードンが眼を離した隙に勝手に襲撃してしまう。ゴードンは猛然と腹を立てたが、起きてしまったことは取り返しがつかない。キルギス族に追跡される身となった流れ者たちを引き連れて、彼はヨルガンに向かった。
 よそ者なかんずく欧米人を見かけたら問答無用で殺してしまうのがキルギス族の流儀のはずだったが、どういうわけか彼らはペンブロークとオーモンドに好意的だった。二人がキルギス族に何かを見せると、彼らは従うのだ。ゴードンは不思議に思いながら、二人の後を追ってヨルガンに到達した。
 ペンブロークとオーモンドは山中の洞窟に従者たちを待たせ、都に赴いた。洞窟の中で従者の一人に見つかったゴードンはやむなく彼を殺し、ヨルガンに潜入する。他の従者たちは同僚の死体を見て、魔神の祟りに違いないと震え上がった。彼らは主人の帰りを待たず、そそくさと荷物をまとめて立ち去ってしまった。
 ヨルガンはエルリク=ハーン信仰の中心地でもあり、立派な寺院がある。寺院の内院に忍びこんだゴードンを出迎えたのは、ゴードンと面識のある美女だった。その名をヤスミーナという。
 ヤスミーナの父親は教団の一員だったのだが、外部の女性と駆け落ちした。二人の間に生まれたヤスミーナは長じてカシミールの王子の妃となったが、これがひどい男だったため彼女はたまりかねて逃げ出した。逆恨みした王子はヤスミーナの身柄に多額の懸賞金をかけていた。彼女が連れ戻されたら散々いたぶって殺し、鬱憤を晴らす気なのだ。
 世をはかなんだヤスミーナはエルリク=ハーン教団に加わることにし、ゴードンが彼女を警護してヨルガンまで送り届けた。ヤスミーナの父親は教団からは裏切者と見なされていたが、父親の罪が娘に引き継がれるということはなく、また彼女の胸にあった星形の痣が女神の生まれ変わりの証とされたこともあって、ヤスミーナはエルリク=ハーンの娘という地位を得た。
 教団の中枢に関与したことにより、ヤスミーナは教団の暗部を知ってしまった。エルリク=ハーンは魔神と呼ばれるだけあって、その信仰には暗澹たる部分があったのだ。文明社会に戻りたくなった彼女はゴードンに手紙を書き、自分をヨルガンから脱出させてほしいと頼んだ。そして返事を待っているところへゴードンがやってきたというわけだ。
「やはり来てくれたか!」と喜ぶヤスミーナ。
「だが、俺はあんたの手紙など受け取っていないぞ」とゴードンはいった。
 ヤスミーナがゴードンに宛てて書いた手紙はヨゴクの手に渡っていた。ヨゴクは教団の幹部だが、ヤスミーナに恨みを抱いている。二人の確執についてハワードは詳しいことを書いていないが、ヨゴクが人間の生贄をエルリク=ハーンに捧げようとしたのをヤスミーナが止めさせたことがあったらしい。
 ヨゴクはヤスミーナの手紙をペンブロークとオーモンドに送り、彼らをヨルガンに呼び寄せることにした。英国人たちはヤスミーナをカシミールの王子に引き渡し、彼から褒美として大金をせしめるつもりでいた。通行許可証として使える紋章をヤスミーナはゴードン宛の手紙に同封しており、ペンブロークとオーモンドがヨルガンまで無事に来られたのはそれをキルギス族に見せていたからだった。
 ゴードンは脱出の経路を決めるため、ヤスミーナを後に残して偵察に出かけていく。しかしヤスミーナの侍女がヨゴクに内通していたので、二人の動向は彼に筒抜けだった。ヨゴクは手下を引き連れてヤスミーナの部屋に押し入り、彼女を連れ去ってしまう。一方、ゴードンも落とし穴に落とされていた。常人なら無事では済まない高さからの落下だったが、卓越した身体能力を備える彼は傷ひとつ追わず、止めを刺しに来た男を倒して地下牢から脱出する。
 ヨゴクはペンブロークとオーモンドのところへヤスミーナを連れていったが、従者たちが待っているはずの洞窟に彼らが辿りつくと、そこはもぬけの殻だった。前述したように、魔神の祟りを怖れた従者たちは逃げ出してしまっていたのだ。ヨゴクが裏切ったと思いこんだ英国人たちは彼に襲いかかるが、ヨゴクはうまく逃げおおせ、彼の手下がペンブロークを刺した。オーモンドはヤスミーナを引きずり、ヨゴクの手下に道案内をさせて出発する。相棒に見捨てられたペンブロークは、駆けつけてきたゴードンに一部始終を打ち明けて絶命した。
 ゴードンはヨゴクを捕え、彼に案内させてオーモンドに追いついた。オーモンドはゴードンをめがけて拳銃を撃ちまくるが、底なしのクレバスに転落してしまう。自分自身の手でアフメッドの仇を討つことができなかったゴードンは憮然とした思いだった。
「おまえは死んだと聞かされたが、それが嘘だということはわかっていたぞ!」とヤスミーナは叫んだ。「季節は夏だ、凍え死ぬことはない。多少の餓えなら耐えられる。さあ、行こうか!」
「だが、俺が厄介ごとに巻きこんでしまった連中がいる」とゴードンはいった。「彼らを見捨てていくわけにはいかない」
「おまえなら、そういうだろうと思った」
 流れ者たちはキルギス族に見つかってしまい、猛攻撃を受けている最中だった。ゴードンはわずかな生き残りを救出し、逃げ道はないかとヨゴクを問いただす。エルリク=ハーン山には秘密の隧道があり、山の向こう側まで通り抜けられるようになっているとヨゴクは白状した。
 何百年の歳月をかけて築いたのか、隧道の中は壮麗な神殿になっており、教団が蓄えてきた莫大な黄金が秘蔵されていた。流れ者たちは驚喜して黄金を馬に積みこみ、図らずもゴードンは約束を守ることになった。
「好きなだけ持っていくがいい」むっつりとヨゴクはいった。「どうせ全部は運べないだろうし、我々はまだ金脈のごく一部を掘り出しただけだからな。そろそろ私を解放してくれないかね?」
「まだだ」とゴードンはいった。「山の向こう側まで抜け出したら自由の身にしてやる。そしたらヨルガンに戻り、適当にでっち上げた嘘で教団をごまかせばいい」
 エルリク=ハーンの娘をさらうのに手を貸したなどということが教団にばれたら破滅なので、ヨゴクも必死だ。一行はようやく隧道を通り抜けましたが、すると崖の上から岩が降ってきました。オーモンドの仕業だ。クレバスに落ちたとき、彼は岩棚に引っかかって命拾いしていたのだった。
 オーモンドに気づかれないよう崖の上まで行く方法はないのかとゴードンはヨゴクに訊ねた。敵襲に備えた見張りのために使っていた縦穴があるが、打ち捨てられて久しいとヨゴクは答える。ゴードンは縦穴を登りはじめたが、長いこと使われていない梯子は傷みが激しく、時には岩壁のわずかな手がかりを代わりに使わなければならなかった。
 限界に達しつつある体に鞭打ち、決死のロッククライミングを成し遂げたゴードンは、オーモンドを狙撃しようとする。しかし疲労困憊していたために銃弾は逸れてしまい、オーモンドは身を翻して剣を抜き放った。アフガニスタンの奥地までやってくるだけあって、オーモンドも卓越した技量を誇る剣客だったが、激しい戦いの末にゴードンは彼を仕留める。エル=ボラクを讃える皆の声が崖の下から聞こえてきた。
 寝込みを襲おうとした謎の敵をゴードンが格闘で仕留めるという短い挿話で物語は終わり、エル=ボラクの冒険が続いていくことを示唆している。実際、彼を主人公とした作品はその後も各誌で発表された。
 ヤスミーナは運命に翻弄されながらも、自分の意志と力で道を切り開いていこうとする強い女性として描かれている。彼女とゴードンは互いに尊敬し合う親友同士だが、二人の関係が恋愛にまで発展することはない。ヒロインを主人公の添え物にしていない点もハワードらしいといえるだろう。

サタンの下僕

 ロバート=ブロックに"Satan's Servants"という短編がある。初出は1949年にアーカムハウスから刊行されたSomething About Cats and Other Piecesだが、執筆されたのは1935年だ。この作品をウィアードテイルズが受理しなかったことを知ったラヴクラフトは、1935年2月下旬から3月上旬の間に書かれたとおぼしきブロック宛の手紙でファーンズワース=ライトを間抜け野郎と呼んでいる。
 物語の舞台は17世紀末のニューイングランド。ボストン在住の牧師であるギデオン=ゴドフリーがルーズフォードの悪魔崇拝を粛清するべく出立したのは1693年9月の下旬のことだった。案内人として雇った2人の先住民は彼のルーズフォード行きに繰り返し反対し、しまいには馬と一緒に姿を消してしまった。しかしギデオンの決意は固く、神に叛くものどもを懲らすために徒歩で旅を続けた。
 ルーズフォードに辿りついたギデオンは大切な聖書を地中に埋めて隠し、一軒の家を選んで戸を叩いた。泊めてほしいと頼むと老人が出てきてドーカス=フライと名乗り、ギデオンに夕食を振る舞ってくれたが、食事中に床下から巨大な犬が現れる。ドーカスの使い魔だ。ドーカスがギデオンを地下の礼拝所に連れて行くと、そこには失踪した案内人たちの遺体があった。逃げたのではなく、悪魔崇拝者に殺害されていたのだ。
 絶体絶命かと思われたが、ギデオンは魔王アスモデウスになりすましてドーカスを信用させ、近々あるサバトに出席することになった。ルーズフォードの住民は全員アンデッドだった。サタンに帰依することによって不死者となり、この世をサタンの領土にするため密かに活動しているのだとドーカスは語る。サバトは3日後に迫っており、儀式でサタンを降臨させればアメリカ大陸は悪魔の地になるはずだった。
 サバトの日、住民が集まってきた。祭壇の上には何かが置いてあり、黒い布で覆われていた。祭司であるドーカスが2頭の牛を生贄として捧げる。まず1頭目を屠ったとき、ギデオンが祭壇の上の布を払いのけ、その下にあったものでドーカスを殴打した。不死者とはいえ、肉体が損壊しすぎると機能を停止するらしい。
 ドーカスを葬り去った凶器を見た悪魔崇拝者たちは恐れおののいた。それはギデオンの聖書だったのだ。彼は当たるを幸い撲殺しまくり、サタン降臨の企てを阻止して帰途についた。こうしてルーズフォードの悪魔崇拝は永遠に滅んだのだった。
 アンデッドに何で対抗するのだろうかと思ったら、まさかの聖書が武器(物理)だったので度肝を抜かれた。主人公の牧師が妙にソロモン=ケインっぽいのだが、なんだかんだ言ってブロックはロバート=E=ハワードのことが好きだったのではないだろうか。ところでルーズフォードには70人あまりが住んでいたということになっているのだが、どうもギデオンは皆殺しにしてしまったらしい。まさに悪魔も顔色をなくす所業だ。
 この作品には『ネクロノミコン』への言及があるため、一応クトゥルー神話大系に属している。ただし『ネクロノミコン』を読んでいるのはルーズフォードの悪魔崇拝者ではなくギデオンの側であり、読めば破滅につながる禁断の書物という印象は薄い。危険な知識であっても使い方によっては強力な武器になるということだろうが、結局ギデオンは『ネクロノミコン』には頼らず聖書で殴るのだった。
「これからも提出し続けて採用を目指すべき作品ですよ」とラヴクラフトはブロックを励ましたが、同時に改善案をいくつも出している。それもギデオンがルーズフォードへの道中で食べるものが不自然だと指摘するなど、まことに細かい。ブロックはラヴクラフトの提案をすべて採用して原稿を書き直したため、この作品はラヴクラフトとブロックの「合作」と見なされることもある。ラヴクラフトの作品集であるSomething About Cats and Other Piecesに収録されたのも、ラヴクラフトの意見がどのように反映されたかにダーレスが興味を示したからだろう。
 ルーズフォードの住民の恐るべき正体はあまり性急に明かさず、徐々に真相に迫っていくほうがよいとラヴクラフトはブロックに助言している。そのように雰囲気を盛り上げている好例として挙げられているのがアルジャーノン=ブラックウッドの「いにしえの魔術」で、すべての怪奇作家が見習うべき手本としてラヴクラフトに重んじられていたことが窺える。

Letters to Robert Bloch and Others

Letters to Robert Bloch and Others

  • 作者:Lovecraft, H P
  • 発売日: 2015/07/18
  • メディア: ペーパーバック

黒い風が吹く

 ロバート=E=ハワードに"Black Wind Blowing"という短編がある。
 主人公はエメット=グラントンという青年。夜中、ジョン=ブルックマンに呼び出されて自動車を走らせる彼の前に立ちはだかったのは、ブルックマンの使用人のジョシュアだった。殺気立っており、グラントンがブルックマンのところへ行こうとするなら殺してやると息巻いている。
「俺は呼ばれた理由すら知らんのだぞ」とグラントンはいった。
「俺は知ってる!」とジョシュアは吠えた。「行かせねえ! 彼女は俺のもんだ! あんたも兄貴のジェイクみたいにぶっ殺してやるぞ! あいつ俺のことをぶん殴るからな、石で頭を潰してやったのさ!」
 彼女というのが誰のことかはわからないが、ジョシュアの兄のジェイクが失踪した理由はわかった。ジョシュアは知恵の足りない人物という評判だったが、それどころか気が変になっているようだ。襲いかかってきたジョシュアをグラントンは殴りつけ、先を急いだ。
 グラントンがブルックマンの家に着くと、そこには見知らぬ美少女がいた。ブルックマンの姪のジョアンだ。貸している土地の使用料を帳消しにした上に現金で1000ドルやるから彼女と今すぐ結婚しろとブルックマンはグラントンにいった。
「わけがわかりませんが」とグラントンはいった。「お嬢さん、それでよろしいのですか?」
「ええ、お願い! 私をここから連れ出して!」
 ブルックマンは治安判事を呼んでおり、さっさと結婚の手続きを済ませてしまった。まるっきり理由がわからないが、グラントンは奥さんを連れて帰宅することになった。家に帰ると、ブルックマンから電話がかかってきた。
「彼女と結婚したと奴らにいってやってくれ!」とブルックマンは叫んだ。グラントンは聞き返そうとしたが、電話は切れてしまう。切ったのは明らかにブルックマン以外の人物だった。
 ブルックマンのことが気になるグラントンは彼の家に行ってみることにした。ジョシュアがやってくるかもしれないので警戒を怠らないでほしいと彼は使用人のサンチェスに頼む。サンチェスはパンチョ=ビリャとともにメキシコ革命で戦ったこともある古強者で、信頼できる人物だった。
 ブルックマンの家に着いたグラントンは何者かに襲われたが、返り討ちにする。ブルックマンはさんざん拷問されて虫の息だったが、グラントンに真相を打ち明けた。若い頃、彼は邪神アーリマンを崇める暗黒教団の一員だったのだ。おぞましすぎる教義に怖れをなして米国に逃げたが、教団に見つかってしまった。
「年の一度、若い娘を生贄として焼き殺すという儀式があるのだ……」ブルックマンはいった。「奴らはわしへの制裁としてジョアンを生贄に選んだ」
 教団の儀式では、生贄の娘にもっとも近しい男性も一緒に殺されることになっていた。男根崇拝の名残なのか、あるいは娘の仇を討ちそうな人間をあらかじめ排除しておくという実際的な理由もあるようだ。ジョアンが生贄ならば、当然ブルックマンが殺されることになる。ブルックマンはジョアンをグラントンと結婚させ、巻き添えで殺される役目を彼に押しつけようとしたのだが、無駄だった。
 そこまで説明したところでブルックマンは絶命し、グラントンは自分の家に大急ぎで引き返す。サンチェスは殺され、ジョアンは連れ去られていた。暗黒教団の後を独りで追うグラントン。追いつくと、3人の祭司が儀式を始めていた。岩を並べて輪を作り、その中央に祭壇がしつらえてある。祭壇の上には全裸のジョアンが横たわっていた。
 グラントンは突進しようとしたが、蒼白く光る岩に触れた途端に引っ繰りかえった。岩には高圧電流が通っていたのだ。祭壇も通電しているらしく、ジョアンが苦しんでいる。グラントンは拳銃を3人の祭司に向け、弾倉が空になるまで撃ちまくったが、1人を斃しただけだった。
 そこへジョシュアが乱入してきた。ジョシュアは岩を飛び越え、妻子に襲いかかる。たちまち1人が背骨を折られて死に、残る1人もジョシュアと相打ちになった。図らずもジョシュアは己の罪を償い、グラントンはジョアンを救い出す。祭壇自体の電圧はさほど高くなかったらしく、ジョアンは無事だった。もうじき夜が明ける……。
 初出はスリリング=ミステリーの1936年6月号だが、全般的に描写が凄惨かつ煽情的だ。エログロの部類に入るといっていいかもしれない。邦訳はないが、原文はプロジェクト=グーテンベルク=オーストラリアで無償公開されている。
gutenberg.net.au

もふもふの獣を近寄らせるな!

 アルジャーノン=ブラックウッドが1949年に大英帝国勲章を授与されたときの逸話が、マイク=アシュリーによる評伝に書いてある。3月1日にバッキンガム宮殿で執り行われた叙勲式にブラックウッドは燕尾服を着て出席したが、その服は貸衣装だった。料金が高かったので、なるべく安く済ませようと古い服を選んだ結果、彼のかぶっていたシルクハットには天の部分がなかったという。
 古ぼけた借り物の燕尾服で王宮へ出かけていくブラックウッド。困窮していたわけではないにせよ、彼は晩年になっても金持ちからは程遠かったのだ。アーカムハウスこそは天下無類の出版社だというブラックウッドの言葉をラムジー=キャンベルが1966年9月14日付のダーレス宛書簡で引用しているが、ダーレスから送られてくる原稿料はブラックウッドにとって意外と貴重な収入だったのかもしれない。
 クラーク=アシュトン=スミスも貧乏だった。小説の執筆から遠ざかってからは窮乏がひどくなり、1941年にはダーレスが彼の彫刻作品を買い取る形で当座の生活費を用立てている。だが、やはり有名なのはラヴクラフトだろう。1936年11月29日付のジョンキル=ライバー宛書簡でラヴクラフトは次のように述べている。

糊口をしのぐ手段のことですが――(この御質問で不快になるなどということは全然ありませんよ)これまで切り抜けてこられたのはもっぱら純然たる幸運の賜物であり、牙の生えたもふもふの獣をいつまで締め出しておけるか将来のことは請け合いかねると申し上げるしかありません!

 牙の生えたもふもふの獣とはかわいらしい言い回しだが、これは「狼を戸口に寄せつけない」という慣用表現が英語にあることを踏まえたラヴクラフトの冗談だ。要するに「糊口をしのぐ」という意味で、かわいい割に深刻な話をしている。
 チャールズ=ラムやナサニエルホーソーンのように定職に就きながら執筆活動をすればよかったのだとラヴクラフトはこの手紙で悔やんでおり、まことに切実な状況が伝わってくる。弱音を吐いた相手がフリッツ=ライバーの奥さんというのも興味深いところで、たとえばダーレスがこのような手紙をラヴクラフトから受け取ったことはないはずだ。個人的な苦境を友人に打ち明けるにはラヴクラフトはあまりにも紳士でありすぎたとダーレスはホフマン=プライス宛の手紙で回想しているが、ラヴクラフトもダーレスの前では格好つけていたかったのだろうか? そう思うと、彼のささやかな見栄に涙が出そうだ。
 もふもふの獣の話をした翌年の春にラヴクラフトは世を去り、後には叔母のアニー=ギャムウェルが残された。このとき、遺著管理者のロバート=バーロウがラヴクラフトの蔵書を持ち去ってドナルド=ワンドレイを憤慨させるという事件が起きている。バーロウは遺言のとおりに行動したつもりだったのだろうが、ワンドレイらは蔵書をギャムウェル夫人から買い取り、まとまった額のお金を彼女に渡そうとしていた。その計画が台なしになったのだから、彼が怒り狂ったのも無理なからぬところではある。*1なお、アーカムハウスから刊行されたThe Outsider and Othersの売上をダーレスとワンドレイがギャムウェル夫人に渡したことにより、彼女が安楽に暮らせるようにするという目的はどうにか達成されたのだった。

Letters to C. L. Moore and Others

Letters to C. L. Moore and Others

  • 作者:Lovecraft, H P
  • 発売日: 2017/08/01
  • メディア: ペーパーバック