新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

この斧を以て我は治む!

 ロバート=E=ハワードに"By This Axe I Rule!"という短編がある。ヴァルーシアの大王カルを主役とする作品だ。
 カルを亡き者にして玉座を奪おうとする陰謀がヴァルーシアでは進行中だった。首謀者は詩人リドンド・伯爵ヴォルマナ・軍団長グロメル・男爵カーヌーブの4人。彼らは野望を実現させるために盗賊アスカランテを仲間に引き入れた。俺は連中の手駒で終わるつもりはないとアスカランテは奴隷に語る。
 一方、カルは気が晴れない様子だった。暴君だった先代の王を彼が打倒して以来、国は富み栄えて強くなり、人々は平和と繁栄を謳歌している。だが、どうも俺は民に好かれていないようだとカルはブルールに愚痴をこぼした。
「民衆とはそういうものですよ」とブルールはいった。「それにリドンドが彼らを煽動している。やつは危険人物です。早めに粛正しておいたほうがいいのでは?」
「できぬ」と彼はいった。「優れた詩人は王よりも偉大だ。俺は死んだら忘れ去られるだけだが、彼の芸術は後世まで残るだろう」
 セノ=ヴァルドアという若い貴族がカルに謁見し、アラという娘と自分の結婚を認めてほしいと懇願する。彼女はヴォルマナ伯爵に仕える奴隷だった。セノは彼女をヴォルマナから身請けしようとして果たせず、いっそ自分もアラと一緒にヴォルマナの奴隷になりたいとまで希望したが、それも断られてしまった。
 カルは首席顧問官のトゥを呼び寄せ、セノの悩みを解決できないのかと相談する。貴族が奴隷と結婚することは許されないというのがトゥの回答だった。そのことは法で定められており、王といえども従わなければならないのだ。自分にはどうすることもできないとカルは苦々しげに告げ、セノは絶望の表情で退出した。
 愛する人と結婚できない悲しみにアラが独り沈んでいると、お忍びで外出中のカルが通りかかった。カルは彼女に優しい言葉をかけ、宮廷の話をしてやる。
「王様は背丈が8フィートもあって、頭には角が生えているというのは本当ですか?」
「王には角など生えていないし、背丈は6フィートちょっとだよ。彼はただの人間だ」
 セノとアラの力になってやりたいと王は望んでいるのだが、できない。王もまた奴隷のようなものなのだ――と語るカル。彼の正体を知ったアラは狼狽して走り去る。
 グロンダル王の要請により、ピクトの大使カ=ヌが同国を訪問することになった。グロンダルの宮廷に縁者がいるヴォルマナの差し金によるものだ。謀反人どものもくろみ通り、カルはカ=ヌの警護のためにブルールを同行させた。カルが片腕と恃むブルールが離れた隙を突いて、アスカランテらが国王の寝室に夜討ちをかける。しかしカルは野生の勘で目を覚まし、襲撃を待ちかまえていた。
 死闘が始まった。襲撃に加わった謀反人は全部で20人、対するカルはひとりだ。カルは満身創痍になりながら戦斧を振り回し、謀反人を一人また一人と屠っていく。グロメル・ヴォルマナ・リドンドはいずれも斃れた。しかしカルはリドンドを討ち取るのを躊躇したため、彼の刃で脇腹に深い傷を負ってしまった。
 兵士たちが寝室に駆けつけてくるのが聞こえ、アスカランテの手下たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。いまやカルとアスカランテが二人きりで対峙しているばかりだ。謀反の失敗を悟り、せめてカルを冥土の道連れにしようとするアスカランテ。眼に入った血をカルが拭おうとした隙にアスカランテは突進するが、飛んできた短刀が彼の首に突き刺さった。短刀を投げたのはセノだった。
「アラが教えてくれたのです」とセノは説明した。ヴォルマナとカーヌーブが謀反の相談をしているのを立ち聞きした彼女はセノの館まで夜通し駆けて知らせに行った。そして彼女から話を聞いたセノは手勢を率いて王宮に馳せ参じたというわけだ。なお襲撃に加わらなかったカーヌーブはちゃっかりと生き延び、後に「ツザン・トゥーンの鏡」で再登場している。
「婚姻に関する法が刻まれた石板を持ってこい」とカルはトゥに命じ、集まった人々に告げた。「ここにいる二人が俺の命を救ってくれた。その恩に報いずして、何が王か。よって二人には結婚の自由を認めるものとする」
 喜びのあまり、セノとアラはひしと抱き合う。「しかし、法律が!」と抗議しようとするトゥ。血まみれのカルは叫んだ。
「法律など、こうしてくれるわ!」カルは斧を振り下ろし、石板を粉々に打ち砕いた。「俺は王と称する奴隷に過ぎなかった。これより俺は真の王となる。これが俺の王笏だ!」
 そういってカルは戦斧を高々と掲げ、文武百官は彼の前に平伏した。「俺は王だ!」とカルが吼えるところで物語は幕を閉じる。
 お気づきの方もおられるだろうが、前半部が「不死鳥の剣」によく似ている。"By This Axe I Rule!"が没になってしまったのでハワードは原稿を書き直して怪奇幻想の要素を加え、コナンを主役とする新しい作品に仕立てたのだ。「不死鳥の剣」のコナンがちょっと賢そうに見えるのは、実はカルの人格がコピーされているからなのだった。
 「不死鳥の剣」はウィアードテイルズの1932年12月号に掲載された。一方"By This Axe I Rule!"のほうはハワード没後の1967年まで発表されることがなかった。だが、もしもウィアードテイルズが"By This Axe I Rule!"を受理していたらカルの物語が続き、コナンの出番はなかったのだろうか?

Kull: Exile of Atlantis (English Edition)

Kull: Exile of Atlantis (English Edition)

ローマの遺跡

 アルジャーノン=ブラックウッドに"Roman Remains"という短編がある。1947年に執筆され、ブラックウッドの生前に出版された最後の作品になった。初出はウィアードテイルズの1948年3月号だ。
vaultofevil.proboards.com
 ウィアードテイルズに掲載された経緯は後述するが、そのときの挿絵を上のリンク先で見ることができる。ボリス=ドルゴヴの手になるもので、なかなかいい雰囲気だ。
 時は第二次世界大戦中、主人公のアンソニー=ブレドルは英国空軍の操縦士だ。インドで勤務していたが、現在は病気休暇中で、歳の離れた義兄に招かれてウェールズの田舎に来たところだった。義兄は高名な外科医だが、現在は臨床を離れて研究に専念している。ブレドルが病み上がりと知り、風光明媚な土地でゆっくり療養しなさいと勧めてくれたのだった。
 義兄のところにはブレドルの他にも二人の客人がいた。一人は義兄の旧友であるエミール=ライデンハイム博士。ベルリン大学に勤めていたが、ナチスに追われて亡命してきたのだ。もう一人は看護師のノーラ=アッシュウェル。ブレドルにとっては従姉妹に当たるのだが、いままで会ったことはない。彼女のことは好きになれないとブレドルは感じたが、その理由はわからなかった。
 その地方にはマスの住む清流があり、程遠からぬところにはワイ川もあってサケが獲れるので、義兄はブレドルのために釣り道具を用意してくれていた。また「山羊の谷」にはローマ時代の遺跡があり、シルウァヌスを祀った神殿が見られるということだった。
 次の日は快晴だった。天気が良すぎるとマス釣りには向かないので、ブレドルはサンドイッチを持って遺跡を見に行くことにした。谷に着くと、陽気で軽快な口笛が聞こえてくる。休憩しつつ弁当を食べているうちに口笛は聞こえなくなったが、暖かな木漏れ日を浴びながらブレドルは眠ってしまい、目が覚めると再び始まるのだった。
 ブレドルは恐怖しつつ、口笛の主に会わなければならないと同時に感じていた。相反する気持ちを抱えて闇雲に駆けた彼が見たものは、乱舞するノーラ=アッシュウェルの姿だった。彼女が木々の向こうに消えていくのを見送ったブレドルは独り呆然と立ち尽くす。一刻も早く立ち去らなければならない――いま考えているのは、それだけだった。
 どうやって谷から脱出できたのかブレドルにはほとんど思い出せなかった。日没の頃に帰り着き、夕食は普段と変わらぬ様子だった。誰かに相談しようと思ったブレドルは義兄ではなくライデンハイム博士に打ち明ける。博士は真面目に耳を傾けてくれたが、彼のいうことはブレドルには理解しがたかった。
「ああ、そう……そう……もちろん興味深く、そして――ええ――きわめて異様です。生に対する不可避な欲求と、そう――それから理不尽な恐怖の結合です。常にきわめて強力であると見なされ――もちろん同等に危険でもあります。あなたの現在の状況――療養中ということですが――そのせいで鋭敏になっていることは疑う余地がありません……」
 なるほど、わけがわからない。午前3時、それまで平和だったその地方で初めて空襲があった。標的になっているのはリヴァプールのはずだが、スピットファイアに追われたドイツ軍機が身軽になろうとして爆弾を捨てたのか、山羊の谷のあたりが被害を受けたのだ。ブレドルと義兄とライデンハイム博士は起きてきたが、ノーラの姿が見当たらない。彼女の寝室に行って名前を呼んでも返事はなく、鍵のかかっているドアを破ると部屋はもぬけの殻だった。3人はノーラを探しに出かける。ライデンハイム博士は鋤を携えており、ブレドルにも1丁を手渡した。
 山羊の谷に着いた彼らはライデンハイム博士に先導されてシルウァヌスの神殿に向かった。爆弾によって変わり果てた姿になったノーラが見つかったが、遺体はもうひとつあった。そちらも絶命しているものの、外傷はなかった。
「埋めたほうがいい――埋めなければなりません」とライデンハイム博士がいった。こうなることを予想して鋤を持ってきたのだろう。
「まず焼くべきだと思います」と義兄がいい、ブレドルと博士も賛成した。その場で遺体を荼毘に付し、家に帰り着く頃には日は高く昇っていた。
 後でライデンハイム博士はブレドルにパウサニアスの著作を見せた。ローマの独裁官だったスッラがテッサリアから帰る途中、洞窟の中で怪物が見つかったという記述があるのだ。すなわちサテュロスであり、山羊の谷にいたものもその同類なのだった。
 かつて崇拝されていたものが現代も生きながらえているという話なのだが、邪悪というよりは異質な存在として描かれている。その命を奪うのがドイツ軍の爆弾という結末はあっけないが、ブラックウッド自身も空襲で九死に一生を得ているだけに生々しい。
 ブラックウッドはこの作品をダーレスに送った。ダーレスは当初アーカムサンプラーに掲載するつもりだったのだが、より大勢の読者の眼に触れるべきだと判断したのでウィアードテイルズに回したという。ブラックウッドの作家人生の掉尾を飾るのにふさわしい作品だと思うし、ダーレスの粋な計らいが感じられる。

死者との誓い

 順番からいえば今日はロバート=E=ハワードの日なのだが、代わりにシーベリー=クインの"Pledged to the Dead"を紹介したい。ウィアードテイルズの1937年10月号に掲載された短編で、現在はプロジェクト=グーテンベルクで無償公開されている。私の知る限り邦訳はない。
www.gutenberg.org
 ノーラ=マクギニスという若い女性がジュール=ド=グランダンとトロウブリッジ医師のところに駆けこんできて、許嫁のネッドがニューオーリンズに出張して以来おかしくなっていると訴える。ド=グランダンのもとに連れてこられたネッドが語るには、ニューオーリンズで謎めいた美女に会ったのだという。彼女はジュリーと名乗り、ネッドを自分の恋人と呼んだ。ネッドが裏切らないように黒い毒蛇が監視しており、下手したらノーラに危害が及びかねないので別れるしかないと彼は思い詰めていた。
 ド=グランダンはニューオーリンズへ赴いてジュリーの正体を調べ上げる。ルイジアナが米国領になったばかりの頃、ダヤンという裕福な一族が住んでおり、ジュリーはその家の娘だった。彼女はフィリップという将校と恋仲になったが、捨てられて心痛のあまり夭逝した。ジュリーの乳母はママン=ドラゴンヌという黒人の老女で、黒魔術の使い手だとか蛇に変身できるといった噂があり、黒人のみならず白人からも敬意を払われていた。ジュリーを溺愛していたママン=ドラゴンヌは葬儀の時に不実な男を呪って忽然と消え去り、その行方は杳として知れなかった。フィリップはアンドルー=ジャクソン麾下の部隊で勤務していたが、ジュリーの墓の前で毒蛇に噛まれた死体となって見つかったという。
 そんなわけでジュリーは誠実な恋人を得られるまで憩えないのだから、また彼女に会ってきてあげなさいとネッドに助言するド=グランダン。彼から渡された怪しげな薬液を飲んだネッドはおっかなびっくり墓場に入っていった。果たせるかなジュリーが現れたが、ネッドの真摯な言葉を聞いて妄執から解放され、彼女を護り続けてきたママン=ドラゴンヌとともに天に昇った。
 後日ド=グランダンはトロウブリッジ医師に種明かしをする。ネッドに飲ませたものは、ド=グランダンがその道の専門家から20ドルで購入した惚れ薬で、相手がワニの姿をしていても愛せるようになるという優れものだった。ジュリーが死霊だと知ったネッドがびびっているので、薬物の力で強引に解決することにしたのだ。ノーラと結婚した後でもネッドの心の片隅にはジュリーがいることだろうとド=グランダンは語るのだった。
 いかがだろうか。21世紀まで書籍に収録されることがなかったというのも頷ける内容で、粗雑さと安直さが目立つ。こんな話ばかり書いていたものだから、クインに対する三聖の評価は低く、ダーレスは1932年1月4日付のクラーク=アシュトン=スミス宛書簡でロバート=E=ハワードの「屋上の怪物」を貶した際に「クインにすら劣る」と述べている。ウィアードテイルズの同じ号でクインの『悪魔の花嫁』が連載中だったのだが、駄作の基準に使われてしまうとはずいぶんな仕打ちだ。スミスも1934年9月5日付のダーレス宛書簡で「ウォーバーグ・タンタヴァルの悪戯」を酷評して「クインの貧弱な桂冠は一向に育ちませんね」と辛辣に言い放った。ただラヴクラフトは1933年5月9日付のロバート=ブロック宛書簡で「クインはマンモンに魂を売り払ってしまいましたけど、その気になれば素晴らしい作品も書けたはずなのです」と語っているので、地力は認めていたようだ。
 クインの代表作といえば「道」だろう。クラウスという名の兵士がイエス=キリストに出会い、数奇な運命の果てにサンタクロースになるという話で、荒俣宏氏による邦訳がある。もしもラヴクラフトが「道」を読んでいれば、クインに対する評価を改めたのではないかと知人からいわれたことがあるが、あいにく初出がウィアードテイルズの1938年1月号なので彼はすでに故人だった。
 「道」は1948年にアーカムハウスから刊行されている。クインの初めての単行本だったそうだが、実は自費出版だったことをダーレスが1954年1月22日付のゼリア=ビショップ宛書簡で明かしている。*1売れる見込みがなく、ダーレスとしても危ない橋を渡るわけにはいかなかったのだろうが、彼の冷徹な一面が垣間見える。

第二世代

 アルジャーノン=ブラックウッドに"The Second Generation"という短編がある。初出は1912年7月6日付のウェストミンスターガゼットで、その後Ten Minute Storiesに収録された。The Best Psychic Storiesに再録されたものがプロジェクト=グーテンベルクで無償公開されている。
www.gutenberg.org
 主人公はスミスという30歳の男性。辺境の地の農場や鉱山で働き、ひとかどの地位をようやく得て10年ぶりに帰国したところだ。かつて慕っていた女性に電報を打ち、4時半に来てほしいという返事をもらったスミスは彼女の屋敷を訪問したものの、玄関先で気後れしていた。
 彼女は他の男性と結婚したが、現在では死別していた。結婚した時点で相手の男には成人済の息子がいたとあるので、相当な年齢差があったらしい。スミスも今では十分な稼ぎがあるのだが、彼の生涯所得ですら彼女の年収に及ばないようだ。
 意を決して呼び鈴を鳴らすと執事が出てきて、スミスを応接間に案内した。お茶が用意してあり、女主人の準備ができるまで独りでおくつろぎいただきたいと言われる。決して非礼ではないが、知人に対するもてなしとしては奇妙だった。
 応接間に入ってきた彼女は昔とまったく変わっておらず、年をとっていないかのようだった。「今でもここにお住まいなのですね?」とスミスは訊ねた。
「ここが私の居場所なのです。あなたが私に会いに来てくれた場所なのですから。私はあなたをずっと待っていましたし、今でも待っています。この家を離れることはありません――あなたが変わってしまわない限り」
「でも、あなたを束縛するものなどないでしょう」と彼は叫んだ。
「あなたは自由ではないのですよ、私が自由であるようには――今のところは」
 執事が入室して、女主人の支度が調いましたと告げた。今まで話をしていたはずの彼女は幻で、スミスは一人きりだったのだ。書類を2階までお持ちいただけますかといわれたスミスは愕然とする。誰か別の人物、おそらく弁護士か建築業者と間違えられていたのだ。
 スミスは床に頽れた。執事は気付けのブランデーを勧め、医者を呼びましょうかといってくれたが、彼はその厚意を断る。後日また伺いますとだけいって屋敷を辞去するスミスは、もはや彼女が生身ではここに住んでいないことを理解していた。彼が立ち去る瞬間、何か御無礼なことでもありましたかと問いたげな表情で階段の上に佇む若い女性がいたのだが、その人は屋敷を相続した息子の妻だったのだから……。
 憧れの女性はすでに故人となっており、その霊だけが彼を待ち続けていたという切ない結末。「第二世代」という題名の残酷な意味が最後に明かされている。なお、この話もTales of Mysteryシリーズの一作としてテレビドラマ化されたそうだが、その映像が残っていないことが惜しまれる。
www.imdb.com
 17歳のダーレスが"Symphony"なる作品の原稿を送って意見を求めたとき、ラヴクラフトは1926年12月16日付の手紙で「たいへん良いと思います――ブラックウッドの"The Second Generation"を思わせるところが多いですね」と述べているので、読んだことがあったようだ。ダーレスを褒めるとき引き合いに出したということは評価も高かったのだろう。"Symphony"がどう似通っているのか気になるので読み比べたいのだが、あいにく未発表作品だという。

地上の男

 ロバート=E=ハワードに"The Man on the Ground"という短編がある。「老ガーフィールドの心臓」や「鳩は地獄から来る」と同じく南部の怪奇譚に分類される作品だ。邦訳はないが、原文はプロジェクト=グーテンベルク=オーストラリアで公開されている。
gutenberg.net.au
 カル=レイノルズとエサウ=ブリルの確執はテキサスにしては珍しく長年に及んでいた。ケンタッキーの山の中では一族同士の抗争が世代を超えて続くこともあるが、南部の人間の気質は早めに片をつけることを好むのだ。だがレイノルズとブリルの場合は例外だった。親族や友人がまったく関わらない二人だけの争いで、どうして彼らが憎み合うようになったのかは本人たちにもわからなかった。
 互いに命を狙い続けた結果、レイノルズの胸には肋骨まで達する傷がつき、ブリルの片眼は潰れてしまっていた。そして今、二人は荒野でそれぞれ岩陰に身を潜めながら銃を構え、相手の息の根を止めようとしていた。
 決闘が始まってから1時間以上が経過し、容赦なく照りつける太陽のせいでレイノルズは汗まみれになっていた。もはや憎悪は彼の一部――というより憎悪が彼を覆っていた。飛んでくる銃弾に当たるまいとするのも命が惜しいからではなく、宿敵の手にかかって死ぬことに耐えられないからだった。逆に、ブリルを自分より3秒早くあの世に送るためなら、レイノルズは平然と命を投げ捨てただろう。
 15分ほど、どちらの側からも銃声は聞こえなかった。ガラガラヘビが岩の間でとぐろを巻いて陽光から毒を吸収するように死を漲らせ、二人は地べたに伏せたまま機会を窺っていた。張り詰めた緊張の糸が切れるのはどちらが先かという我慢比べだった。
 とうとう痺れを切らしたブリルが身を乗り出して発砲し、すかさずレイノルズは撃ち返した。怖ろしい叫び声が上がったので、命中したのは確かだった。レイノルズは躍り上がって喜んだりはしなかったが、思わず頭をもたげてしまった。彼はすぐさま本能的に身をかがめたが、そのときブリルの銃弾が飛んできた。
 だが、その銃声はレイノルズには聞こえなかった。同時に何かが彼の頭の中で弾け、赤い火花を散らしたかと思うと彼の意識を真っ暗闇の中に沈めてしまったのだ。
 暗闇だったのは束の間で、気がつくとレイノルズは地面に横たわっていた。このままでは敵に狙い撃ちされてしまう。傍らに転がっていた銃を彼はひっつかみ、近づいてくるブリルを撃とうとしたが、相手の態度があまりにも奇妙だったので一瞬だけ躊躇した。機先を制して発砲するでもなく、飛び退いて物陰に隠れるでもなく、ブリルはまっすぐ歩いてくるばかりだったのだ。まるでレイノルズの姿が見えていないかのようだった。
 それ以上は理由を考えようとせず、レイノルズは引き金を引いた。狙い過たず銃弾はブリルの胸に命中した。ブリルは最後の最後まで戦い続ける男であり、息絶える瞬間まで銃を撃ちまくるかと思いきや、信じられないという顔でゆっくりと仰向けに倒れた。その死顔には愚かしい驚愕の表情が張りついている。見るものを宇宙的恐怖で戦慄させる表情だった。
 レイノルズは銃を地面に置いて立ち上がった。彼の視界は霞んでおり、空や太陽までもが非現実的に感じられた。だがレイノルズは満足していた。長年の争いはついに終わり、彼が勝利を収めたのだ。
 そのときレイノルズは眼を疑った。ブリルの亡骸から数フィートしか離れていないところに別の死体が転がっているのだ。二つ目の死体には見覚えがある――レイノルズ自身の姿だ。自分自身の死体を見下ろしているのだと理解した瞬間、レイノルズのもとにも真の忘却が訪れたのだった。
 戦っていたのは死人だったという落ち。憎悪を擬人化したようなキャラクターだ。この作品の初出はウィアードテイルズの1933年7月号なのだが、この号には「蝋人形館の恐怖」「魔女の家の夢」「ウボ=サスラ」が掲載されていてクトゥルー神話が豊作だ。ハワードは1933年6月15日付のラヴクラフト宛書簡で「魔女の家の夢」と「蝋人形館の恐怖」を称賛し、『無名祭祀書』に言及してくれたことにお礼を述べているが、自分自身の作品のことは何も語っていない。

事前従犯人

 アルジャーノン=ブラックウッドに"Accessory Before the Fact"という短編があり、プロジェクト=グーテンベルク=オーストラリアなどで無償公開されている。
gutenberg.net.au
 マーティンは休日の散策を楽しんでいたが、どういうわけか荒野で迷ってしまった。道を間違えたところまで引き返すべきかと思案してから、彼は先に進むことにする。かまわず行けば宿屋が見つかるだろう、予定のとは違ったとしても――そう思った彼が歩き続けると、みすぼらしい身なりの二人組が地べたに寝転がっていた。彼らにドイツ語で時刻を聞かれたマーティンはとっさに「6時半」と答える。返事をした後で時計を見ると、幸いにも合っていた。
 わけのわからない恐怖を感じながらマーティンは歩調を速めたが、先ほどの二人組が現れて彼に襲いかかる。背後から鈍器で滅多打ちにされてマーティンは抵抗できず、世界は闇の中に沈んでいった……。
 はっと気がつくと、マーティンは標識の前に立っていた。迷ったのも、暴漢に襲われたのも夢だったようだ。標識には目的地の名前が書いてあり、宿屋のある村はほんの2マイル先だった。マーティンは村まで一目散に駆けていき、疲労困憊しつつ宿に着く。
 夕食を済ませて気分も晴れ、一服しようとバーに入った彼が見たものは、あの二人組の姿だった。きちんとした服を着ているが、顔は見間違えようもない。だが彼らは自分に用があるのではなく、狙われているのは別の誰かだとマーティンは悟った。その誰かに対する警告を自分は間違って受け取ったのだ、まるで無線を傍受したようなものだ――マーティンは恐れおののいたが、その晩は何も起こらなかった。彼はぐっすりと眠った。
 マーティン以外に宿泊しているのは、金縁の眼鏡をかけた年配の男性だけだった。翌朝、その人物が宿の主人に道を訊ねているのを見たマーティンは代わりに答え、よろしかったら御一緒しましょうと申し出る。赤の他人だが、一人きりで行かせるわけにはいかないと思ったのだ。だが自分の出立は遅くなるからと丁重に断られてしまい、みすぼらしい身なりに変装した二人組の片割れが現れて時刻を訊ねた。教えてやったのは金縁眼鏡の男性だった。
 もはや打つ手がなくなったマーティンは苦悩しながら帰途につく。このままでは人が殺されようとしているのを看過することになってしまう。だが、そもそも間違って受け取った情報で運命を変えようとするのが摂理に反しているのではないか? 最後の2日間、マーティンの休暇はそんな疑念のせいで台なしになった。
 後日、例の荒野で旅行者が喉を切り裂かれて殺害されたという記事が新聞に載った。被害者は金縁の眼鏡をかけており、大金を所持していたそうだ。下手人と目される二人組は未だに捕まっていないという。
 他人の運命を予知してしまった男の煩悶を描いた掌編。題名になっている"Accessory Before the Fact"をウェブスター辞典で調べると「直接の犯行には加わらないが、幇助や教唆という形で寄与する共犯」とある。「事前従犯人」と訳すらしいが、殺人が行われることを前もって知りながら阻止するのを諦めてしまったマーティンを指しているのだろう。
 この作品は1911年9月2日付のウェストミンスターガゼットが初出で、その後Strange StoriesTales of the Uncanny and Supernaturalなど様々な単行本に収録されている人気作だ。また1960年代に英国でテレビドラマ化されたこともある。*1なかなか優れた作品だと思うのだが、今日に至るまで邦訳はないようだ。

ダーモッドの破滅

 このところアルジャーノン=ブラックウッドとロバート=E=ハワードの作品を交互に紹介しているが、別に意図があるわけではない。そもそもハワードはブラックウッドを読んだことがないと1930年10月頃の手紙でラヴクラフトに語っており、少なくとも直接的な影響は受けていなかったはずだ。
 それはさておき、ハワードには"Dermod's Bane"という短編がある。彼の生前には発表されたことがなく、初出はMagazine of Horrorの1967年秋季号だ。The Horror Stories of Robert E. Howardに収録されている。主人公の名はキロワンといって、これは「われ埋葬にあたわず」の語り手と同名だ。また"The Haunter of the Ring"*1の主役はジョン=キロワンといい、故フィリップ=ホセ=ファーマーの公式サイトでは彼らをすべて同一人物としているが、実のところハワードが登場人物の名前を使い回すのは珍しくない。
www.pjfarmer.com
 最愛の姉妹モイラを失って悲しみに暮れるキロワンは心を癒やすべく、先祖ゆかりの地であるアイルランドのゴールウェイに来ていた。なお姉妹といっても姉なのか妹なのかは不明だ。英語圏の小説では兄弟姉妹の長幼の序に無頓着なことが多く、この作品も御多分に漏れない。「妹を溺愛する兄」と「姉が大好きな弟」では微妙に印象が異なるのだが、そう思うのは私だけだろうか。
 キロワンは現地の羊飼いから昔話を聞く。それはダーモッド=オコナーという男の物語だった。名門たるオコナー家に生まれながら、彼は狼の異名を持つ無法者だったという。相手がノルマン人だろうとケルト人だろうと暴虐の限りを尽くすダーモッドの徒党は戦闘や離反が相次いで徐々に数が減り、とうとう彼ひとりになってしまった。それでもダーモッドは荒れ狂い続けたが、一族の若者を殺害されたキロワン家が復讐を誓って彼を追い詰め、マイケル=キロワン卿が一騎打ちを行った。そのマイケル卿の直系の子孫がキロワンなのだ。
 発見されたとき、マイケル=キロワンとダーモッド=オコナーは二人とも重傷を負っていた。ダーモッドのほうが傷が深く瀕死だったが、そのまま放置されて死ぬのではなく丘の上の木で縛り首にされた。キロワン家のものに末代まで祟ってやると言い残して彼は吊されたという。その木は今日なお残っており、地元の人々からは「ダーモッドの破滅」と呼ばれていた。
「ですからね、海を臨む崖に夜は行っちゃいけませんよ。笑いたければ笑いなさるがいいが、月のない夜にはダーモッドの怨霊が出没しますからね」
 羊飼いはそう忠告してくれたが、別離の苦痛が治まらないキロワンは夜ふらふらと戸外に出て行く。泣きたくても泣けないほどの悲しみを抱えながら彼は丘をさまよい、気がつくと崖の上にいた。目の前に誰かがいる。モイラの姿を認めたキロワンは我を忘れて駆け寄った。
 モイラはふわりと空中に浮き上がり、まるで風に吹かれる霧のようだった。キロワンは勢い余って高さ120メートルの崖下に転落しそうになる。落ちたら命はなかったが、そのとき誰かの手が背後から彼を引き留めた。忘れもしない、その手の感触は……。
 ダーモッドの怨霊がモイラになりすましてキロワンの命をとろうとし、絶体絶命の彼を救ったのは本物のモイラだった。ダーモッドは正体を現して消散し、モイラも去った。キロワンは草むらに突っ伏し、夜が明けるまで泣き通す。愛は憎しみに打ち勝つと知って彼は立ち直り、いつの日か自分はまたモイラを抱きしめることができると確信するのだった。
 短い作品だが、ハワードの愛するアイルランドが舞台になっている点が注目に値する。また、前述したようにジョン=キロワンのシリーズの一部と見なすならばクトゥルー神話大系と接点があることになる。なお念のために付け加えておくが、ハワード自身は一人っ子だ。