新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

ラヴクラフトの本

 リチャード=A=ルポフにMarblehead: A Novel of H. P. Lovecraft という長編がある。元々はLovecraft's Book という題名で1985年にアーカムハウスから刊行されたのだが、これは話の長さを半分に切り詰めた短縮版だった。2000年に出た完全版がMarblehead である。
 物語の舞台となるのは1926年の暮れから翌年にかけてのニューイングランドとニューヨーク、主人公はラヴクラフトその人だ。ソニア=グリーンやC.A.スミスも実名で登場するが、アーカムハウスから出版された作品なのにダーレスはまったく出てこない。その代わり、本当は1930年からラヴクラフトと文通を始めたはずのロバート=E=ハワードが前倒しで出演するのだが、予想どおりのマザコン。しかもラヴクラフトがKKKのことを調べていると知るやいなや知り合いのKKK団員のところへ行き、拳銃を突きつけて「俺の大事な友達が知りたがってるんだ。持っている情報を洗いざらい吐いてもらおうか」と迫るという危ないキャラになっている。
 また奇術師のセオドア=ハーディーンがラヴクラフトと一緒に冒険を繰り広げる。この人も実在の人物で、かのハリー=フーディーニの実弟。フーディーニはラヴクラフトと面識があったというのは史実だが、彼は1926年10月に他界しているため弟が代わりに出ることになったのだろう。ただしハーディーン自身も大奇術師として歴史に名を残した人である。
 ドイツに対する米国人の誤解と反感を払拭するために本を書いてほしいという依頼がラヴクラフトのもとに舞いこんできた。要するに親独派のプロパガンダなのだが、自分の単行本が出せると聞いたラヴクラフトは引き受けることにする。折しもドイツではナチスが台頭しており、勢い彼の原稿もナチスを支持する内容になっていった。依頼主はジョージ=シルヴェスター=ヴィーレックなる人物だが、これまた実在の人。実際にナチスの支持者として活動し、そのため二次大戦中は収容所に送られている。
 英米とドイツの融和による新世界秩序に関する原稿をラヴクラフトは完成させるが、ヴィーレックに胡散臭いものを感じたため彼には渡さず、ひとまずC.A.スミスに郵送して保管を依頼する。その原稿を読んだスミスからは忠告の手紙が送られてきた。

あなたはヴィーレックとその同志たちをアマチュアジャーナリズムの仲間と同じように思っているかもしれません。話せばわかり合える人たちなのだと。でも、僕はサンフランシスコでヒトラーの支持者を見たことがあります。連中は街に繰り出してはユダヤ系の人々に暴力を振るっているのです。彼らが実現させようとしているのは恐怖による支配です。気をつけて!

 これはかっこいい。もちろん架空の手紙なのだが、いかにもスミスがいいそうなことだ。眼が覚めたラヴクラフトは原稿の引き渡しを拒否するが、ニューイングランドの沖合にファシストが建設した海底基地にソニアともども監禁されてしまう。
 絶体絶命だが、そのときハーディーンが助けに来る。これもかっこいい。ヴィーレックは潜水艦で逃げてしまったが、ラヴクラフトとソニアは無事に救出され、ファシストの陰謀は暴かれた。1927年の大晦日、出撃した米海軍がファシストの海底基地を爆破しているところで物語は幕を閉じる。また一緒に暮らさないかとソニアがラヴクラフトにいうが、彼は無言だった。沖合の閃光を見て「インスマスを覆う影」の構想が浮かんだところだったのだ……。
 ハッピーエンドではあるのだが、ラヴクラフトは怪奇作家としての本分を全うするために独りプロヴィデンスへ帰っていくのだと思えば切ない終わり方だ。また「1920年代の後半から30年代にかけてのラヴクラフトの思想的成長が作中に反映されていない」とS.T.ヨシに批判されているのだが、ラヴクラフトの人物描写がいささか類型的に過ぎることは否めない。それはそうとして、なかなか楽しめる話だった。

Marblehead: A Novel of H. P. Lovecraft

Marblehead: A Novel of H. P. Lovecraft

コカコーラはペプシを応援しない

 サンディ=ピーターセンとグレッグ=スタフォードがケイオシアム社に電撃復帰したことは今年のクトゥルー界における十大ニュースのひとつに数えてよさそうだ。そのピーターセンがRedditでファンの質問に答えている。
Sandy Petersen Designer of Cthulhu Wars, Doom, Call of Cthulhu RPG and more! Here to answer questions. : IAmA
 ケイオシアムの経営の刷新を「クーデター」と呼ぶピーターセン。物騒な言い方だが、何かと問題の多かった旧経営陣*1を粛清したという認識なのだろう。ところでケイオシアムを辞めた理由を10年前のインタビューで訊ねられたピーターセンは「給料です」と答えているのだが*2お金にならないからという理由で去った職場に戻ってくるあたり、彼もクトゥルー界の人である。
 ネットで資金調達中の『デルタグリーン』を支援したかという質問に対してピーターセンは否定し、次のように理由を説明している。

当方のオリジナルを水増ししたものの応援はしないことにしているのです。

 この発言は若干の波紋を呼んだようだ。クトゥルー神話の新しい地平を切り開き、ケイオシアム暗黒期のクトゥルー神話TRPGを支えてくれたデルタグリーンに感謝と愛着を覚えるファンは多いため、ピーターセンの態度に失望した人もいるのだろう。ピーターセンは続けて説明する。

グランシーのことは個人的には好きですよ。だが彼らのゲームはCoCから派生したものです。コカコーラがペプシを応援するようなことを期待しちゃいけません。

 個人的な好悪はさておき、我々は商売敵なのだと言い切るピーターセン。単純明快だ。彼はプロとしての態度を示したわけだし、そもそもの質問が野暮だともいえるだろう。
 ところでデルタグリーンにも『ランドリー』という競争相手がいるのだが、アダム=スコット=グランシーは「両者は異なるもの」と語っている。両方とも買ってくれという意味だろうが、こちらはこちらでそつのない姿勢だ。*3

古代ヒューペルボリアの猫神信仰

 C.A.スミスが1935年11月頃に書いたロバート=バーロウ宛の手紙より。

人類誕生以前にいたヒューペルボリアの蛇喰族をかたどったとおぼしき彫刻をラヴクラフトが君に転送してくれるはずです。密林に呑みこまれた廃都コモリオムの柱石の直中で、この彫刻は粉々になって発見されました。発見者は器用な人物だったので、彫刻をつなぎ合わせて復元したのです……ところでコモリオムという地では考古学上の発見がふんだんにあるんですよ。僕もいくつか神像を発掘したのですが、その中には紛う方なき太古の獣骨もしくは象牙を刻んだファウズの像もありました。ファウズは女の胸をした猫の女神で、バステト神がケムに現れる遙か前にヒューペルボリア人が崇拝していたのです。それから異様なカメオ細工も見つかりました。その縁は奇妙にも摩耗して丸くなり、獣でもなく人でもない侵入者からコモリオムの東門を守護する黒犬の頭部が彫ってあります……。また審問官モルギの胸像もありました。軽率にもエイボンを追いかけ、土星に通じる金属板を通り抜けてしまった人物です。さらにジャイアントモアの頭部、明らかに無名の神性を描写したカメオ細工がいくつか、そして鳥類と昆虫と爬虫類が複合した生物の頭部がありました。ムーとポセイドニスの調査(未来科学的な潜水鐘を利用して成し遂げたのです)に関する報告は後日に譲りますが、珍奇な偶像をいくつか回収できましたよ。こういう成功で自信がついたからには、恐るべき深淵の都ルルイエの周辺を探検しに行くことになるかもしれません!

 コモリオムの遺跡で発見された蛇喰族の彫刻というのは、もちろん実際にはスミス自身が制作したものだろう。ファウズという猫の女神がヒューペルボリアで信仰されていたという設定が興味深い。エイボンの弟子であるサイロンが猫神イジーラを崇めていたとリン=カーターの作品にあるが、おそらくカーターはファウズの存在を知らなかったので独自に猫の神様を創造したのだろう。
 ルルイエ探検の計画まで飛び出してスミスもノリノリだが、この頃が「ラヴクラフト・サークル」のもっとも幸福な時期だったのではないだろうか。翌年からはロバート=E=ハワードとラヴクラフトが相次いで世を去り、哀切さばかりが一気に募っていくことになる。

俺の先生

 ダーレスに助言してもらうことをラヴクラフトはブロックに勧めたが、ダーレスの指導は容赦がないことで知られており、ブロックも「ラヴクラフトさんの猿真似をするな」と釘を刺されることになる。ラヴクラフトがブロックを励まして曰く――

くじけてはいけませんよ。ダーレスはとても厳しいかもしれませんが、行き過ぎているように見えても彼の指摘には価値があるのですから。

 先輩が師範代の立場で後輩の指導をするあたり、この頃のラヴクラフトと愉快な仲間たちは「ラヴクラフト・サークル」と呼ぶにふさわしい活動をしていたわけだ。もっとも、自分がサークルを主宰しているという意識はラヴクラフト自身にはなかったのだろう。
 ところでダーレスは先輩の指導を受けていない。ラヴクラフトが自らダーレスの原稿を読んで文法や設定の点検をすることは頻繁にあったが、他の人がラヴクラフトから指導を委託された形跡は見られないのだ。適当な先輩がいなかったというのが最大の理由だろうが、ダーレスがウィスコンシン大学マディソン校の英文学科で学ぶ身だったことも大きいだろう。正規の高等教育機関で文学や創作の勉強をしている以上、そこの先生たちにダーレスの指導は任せておけばいいとラヴクラフトは考えたのだろうと思う。
 マディソンにおけるダーレスの指導教員はヘレン=C=ホワイトという人で、ラヴクラフトとダーレスが交わした手紙にも彼女の名前が出てくる。1932年2月6日付の手紙でダーレスはラヴクラフトに原稿を送り、次のように述べている。

この作品はホワイト准教授に見てもらいました。ウィリアム=ブレイクの研究者として有名な人です。なかなか口やかましい講評をもらってしまいましたが、私はおおむね納得しています。ただ"she being"のような言い方はするべきではないという意見には賛成できません。

 ここで問題になっているのは独立分詞構文のことだろう。ラヴクラフトは2月8日にさっそく返事を書いて「私もホワイト先生に賛成です」と表明した。彼によれば、以下のような理由があるそうだ。

このような言い回しはおよそ慣用的ではないため、文そのものに読者の注意が引き寄せられてしまい、想像を働かせる妨げになります。作家の目的は芸術を隠す芸術であるべきで、したがって悪目立ちすることは常に避けなければなりません。

 秘すればこそ花なのだと能楽師みたいなことを言い出すラヴクラフト。ダーレスはまだ納得していなかったようで、18世紀には普通に使われていた用法だと反駁している。ラヴクラフトは2月13日付の手紙でさらに諭した。

君が特異な表現を好むことは私も承知していますが、そういう表現はほとんどが作品のテーマに沿っており、それゆえ悪目立ちはしません。ですが今回の例は文章の他の部分と調和していなかったので、ホワイト先生も私もそこで引っかかってしまったのです。もしも文章全体が18世紀風だったら自然に見えるでしょう。

 いかにも文法に拘るラヴクラフトらしい指導だ。ラヴクラフト自身が古めかしい言い方を好む人だったと思われがちだが、彼はきちんと考えながら表現を選んでいたのだということが窺える。
 その後ホワイト先生は正教授に昇進し、ダーレスがグッゲンハイム奨学金を申請したときは推薦人になってあげた。ダーレスにとっては恩師というべき人である。今日、彼女を記念した7階建てのビルがウィスコンシン大学にあるそうだ。

馬から落馬

 ロバート=ブロックがラヴクラフトと知り合って間もない頃の話である。ブロックの原稿を読んだラヴクラフトは1933年6月頃の手紙で「君には重複表現の傾向がありますね」と注意し、具体例をいくつも挙げている。

君の原稿にはpast & antecedentsとかbased & foundedとかblurred & indistinctといった繰り返しが見られます――すべて削除の必要がありますよ。読みながら訂正をところどころに書きこませていただきました。君は原稿を他の人に読ませる前に手直しをしたいのではないかと思いましたので、クラーカシュ=トンのところに送る代わりに返送することにします。

 つまり、日本語でいえば「馬から落馬」「頭痛が痛い」の類だ。ラヴクラフトの言い方は穏やかだが、このままではC.A.スミスに読ませられないから書き直せとダメ出しをしている。ブロックはまだ16歳になったばかりだったが、彼とて最初からプロだったわけではないということだろう。
 ラヴクラフトは形容詞を多用する人だったが、いわれてみれば重複表現はない。やたらと仰々しく言葉を連ねているように見えて、実は語義に気をつけながら慎重に選んでいたのだ。また文法を重んじる人なので、英語を母語としない人間にとってはダーレスなどの文章よりも却って読みやすかったりする。
 スミスとダーレスに助言してもらうことをラヴクラフトはブロックに勧めている。スミスはとても具体的な意見を出してくれるのだが、いかんせん天才なので彼の技は容易には真似がたい。それでもスミスと交流すれば必ずや得るものがあるということだろう。一方ダーレスにはプロフェッショナルとしての心得があり、ブロックが本気で作家を目指すのであれば見習うべき人物といえる。この二人をラヴクラフトが推薦したのは単に自分の親しい友人だからではなく、ちゃんとブロックの将来を考えてのことだったのではないかと思う。

ラムレイの神話作品

 Cunliffeさん(id:Cunliffe)が曰く――

というわけでコスミックホラーを嗜んで宇宙的恐怖の前にただ震えるだけの子羊になってみないかい?いあいあ/なんでラムレイはあんまり好きじゃねーです。

http://b.hatena.ne.jp/entry/255674318/comment/Cunliffe

 Cunliffeさんのことは尊敬しているし、ブライアン=ラムレイがこのように言われてしまうのも現状では致し方ないと思うのだが、実のところラムレイは「宇宙的恐怖の前にただ震えるだけの子羊」の話も割と書いている。ただ邦訳されていないのだ。
 大まかに分けてしまえば、ラムレイのクトゥルー神話長編は人間賛歌であり、中短編はおおむね救いがない。後者に属する作品としては"The Return of the Deep Ones"*1や"The Changeling"*2や"Born of the Winds"*3などがある。いずれも残念ながら未訳だが、弊ブログで粗筋を紹介してみたことがある。
 もちろん、救いがないからといって優れた神話作品だとは限らない。宇宙的恐怖とは単なるバッドエンドのことではないという指摘もあるだろう。だが"The Sorcerer's Dream"で描かれた虚無的な終末の光景を見るに、ラムレイの神話世界は思いのほかラヴクラフトのそれに近いのかもしれないという気がする。

戦争中のワンドレイ

 ドナルド=ワンドレイといえばラヴクラフトの親友であり、ダーレスとともにアーカムハウスを創設した同志である。ワンドレイこそがラヴクラフトの後継者にふさわしいとフリッツ=ライバーは考えていたという。*1しかし第二次世界大戦が始まるとワンドレイは出征していき、アーカムハウスの経営はダーレス一人が担うことになった。では、その間ワンドレイはどこで何をしていたのか。
 ウィスコンシン州立歴史協会がダーレス関連の文書を所蔵しているように、ミネソタ州立歴史協会はワンドレイ関連の文書を保管している。*2それによると、ワンドレイは米陸軍の第65歩兵師団に所属していたそうだ。「戦斧」の通称で知られる師団である。この師団は1945年1月にフランスのル=アーヴルに上陸し、ジークフリート線を突破してラインを渡河、東方から進撃してきたソビエト軍と合流している。その戦いにワンドレイも参加していたことになる。彼は第三帝国強制収容所の解放戦にも加わっていたとスコット=コナーズが述べているが*3これはおそらくフロッセンビュルク強制収容所のことだろう。
 ワンドレイは最終的には上級曹長まで昇進し、陸軍を名誉除隊した。けだし立派な軍歴というべきだろう。